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戦いの決着が付いてから数秒が経って、やっとメイジ達は正気に戻った。 トリステインの魔法衛士隊の隊長を務めるスクウェアメイジが、四体の遍在を駆使してなお惨敗と言う言葉さえ生ぬるい敗北を喫したのを目撃したばかりでなく、それを成し遂げたのが杖の一つも持たないただの平民の老人であるという事実を受け止めきれない者も少なくない。 しかしそれでも、アルビオン王国有数の精鋭であるメイジ達は、一斉にジョセフへと杖を向けた。 この状況で真実が把握できない以上、騒動の中心にいた者達をまとめて捕縛するのは至極真っ当な思考であるからだ。 ジョセフもまた、それを理解しているからこそ。「うぉーい! 俺の! 俺の見せ場が!」と騒ぎ立てているデルフリンガーを取りにいく素振りすら見せず、悠然と両手を挙げているだけだった。 「夜分お騒がせして申し訳ない、ニューカッスルの皆様方よ! 事情はわしではなく、わしの主人、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが説明する! すまんが誰か主人を介抱してくれんか!」 抵抗の意思はないと判断した数人のメイジが、ルイズに駆け寄り応急手当てを開始する。 ウインドブレイクで吹き飛ばされて地面を転がされたルイズだったが、気は失っているが特に重傷を負ったというわけではないようで、メイジ達の様子に切羽詰ったものがないのが見える。 ジョセフは安堵の息をついて、警戒を弱めず自分に近付くメイジ達を眺めていたその時。 「待て! 彼らの身柄は私が預かろう!」 中庭に響く凛とした声に、その場にいた全員の目がそちらに向いた。 そこに現れたのは、ウェールズ皇太子と、キュルケ、タバサ、ギーシュ達だった。 この場で最も地位の高い王子の言葉に、メイジ達にざわめきが広がる。 「お待ち下さいウェールズ様! まだどのような事情があるのか把握できておりませぬ! ここは我々が――!」 一人のメイジの言葉にも、ウェールズは平素の悠然とした笑みを崩さずに言った。 「実は少し前にここに着いていたのでね、ヴァリエール嬢が貴君らの前に立ちはだかった直後から今までを見せてもらった。あの一連の光景を見て事情を察するべきではないかな、高貴なるアルビオン王家に仕える者としては」 にこやかに言うウェールズに、部下達はそれ以上食い下がることは出来なかった。 自分に反論がないのを見届けると、纏っていたマントを翻し、高らかに宣言した。 「彼らの身柄はこのウェールズが預かる! 貴族の風上にも置けぬこの裏切り者を捕縛し、地下牢に放り込んでおけ!」 ワルドを捕らえる様部下に命じてから、ジョセフへと鷹揚に近付いていく。キュルケ達も、メイジ達の視線を受けながら三者三様の様子でウェールズの後ろを付いていく。 「いや、すごい戦いだった。君のような戦士がもう少し早くアルビオンに来てくれれば……というのは、ただの願望だね」 警戒を全く見せず、平素の表情を見せるウェールズに、ジョセフはほんの少しの苦笑を浮かべて言葉を返す。 「宜しいのですかな、殿下。私がもし殿下を狙う暗殺者であったなら、最早この時点で殿下のお命は……」 「本当に私を殺す気がある者は、私にその様な忠告などしてくれないものだ。それに御老人にはいい主人といい友人がおられる。あの爆発音が聞こえて泡を食ってここに駆けつける最中、君の三人の友人達が懸命に事情を説明してくれた。 それを信じられぬほど、私の心は曇っていないつもりだが。それにあの貴族の鑑たるヴァリエール嬢を片や傷付け、片や傷付けられ憤る。どちらに義があるか、という話だ」 「聡明な判断に舌を巻くばかりですな。多少無警戒かと思いますが、こちらとしては都合がよいことでして」 それからジョセフは、ウェールズの後ろにいる三人の友人達に、普段と変わらない笑みを見せた。 「すまんな三人とも。王子様にあの部屋にいてもらうワケにゃーいかんかったので、ちょいとウソをついちまった」 その言葉に、不服そうな顔をしたのはギーシュだけだった。キュルケはいつも通りにあっけらかんと笑ってジョセフに答える。 「いいのよ、ダーリンが何かやろうと仕組んでる時の顔くらいもう判るわ。とりあえずルイズを起こしてあげなくちゃならないんじゃない?」 ジョセフ的にはチラ見程度のつもりだったが、周囲には気になって気になって仕方ありません以外の何物でもない視線の向け様で気絶したままのルイズを見ていた。 「おう、んじゃ行って来る」 さっとルイズへ小走りに向かうとメイジ達からルイズを受け取り、緩やかに波紋を流す。 僅かな間を置いて、小さな寝息のような声を立ててルイズの目が開いた。 まだ夢に片足入れているような表情で、自分を抱いているジョセフを見上げ。何かを言おうと口を動かそうとするが、何を言っていいのか判らず、困ったような悲しい顔で、それでも何かを言おうとするルイズの頭をそっと胸に抱いた。 「いいんじゃ、いいんじゃよ。今は何も言わんでいい。わしが守ってやるからな……」 「…………!」 平素の彼女なら、貴族の誇りや意地っ張りが邪魔してジョセフの脇腹にチョップを入れて適当に悪態を付いてジョセフの腕から離れていただろう。 だが、幼い時からの憧れであり婚約者であったワルドが醜い裏切り者で、何の躊躇もなく自分を殺そうとした殺人者で。 ルイズを守護し庇護するジョセフに縋り付いて、沸き上がる感情のままに泣き出さなかったのは、せめてもの彼女のプライドだった。 しかし、使い魔のシャツがたわむくらい強くつかんで、頭を強く胸に擦り付けることで、泣き出しそうになるのを懸命に食い止めていた。 その姿を見下ろすジョセフが何の思いも抱かない訳がない。 高慢でプライドばっかり高くて小生意気な主人が、人目があるこの状況で自分に縋り付いて感情を爆発させるのを堪えている。 この引き金を引いたのはワルドだ。だがそのワルドに引き金を引かせるべく銃を渡した張本人……レコン・キスタに、ジョセフの怒りが向けられないはずはない。 ピンクのブロンドの上から子供をあやすように背中を軽く叩いてやりながら、地面に落ちたデルフリンガーに歩いていって鞘に収めると、律儀に自分達を待っていたウェールズ達の元へと歩いていく。 その僅かな歩みのうちで、ジョセフはこれからの計画を全て築き上げていた。 「それにしても」 ウェールズは普段の朗らかな笑みの中に、少なからぬ自嘲の色を滲ませて呟く。 「それにしても、レコン・キスタは……よもや誉れ高きトリステイン王国のグリフォン隊隊長まで手中に収めるとは。なるほど、これでは我がアルビオン王国もあれほどまで容易く滅びに進まされた訳だ」 重いため息をついて双月を見上げるウェールズに、ジョセフは緩く首を振った。 「向こうの手練手管に絡め取られたのは事実、じゃがこのまま手をこまねいとれば、トリステインも二の舞を踏むことは判り切っておる。幸い、まだアルビオン王国に時間は残されておる。 アルビオン王家の滅亡を止める事は最早出来んじゃろーがッ。一つ、この老いぼれの戯言を聞いてみる気はありませんかな、殿下?」 ルイズを腕に抱いたまま、帽子の下からニヤリと笑った顔をウェールズに向けた。 明日には亡くなる国とは言え、ウェールズはれっきとした王家の皇太子である。ここで平民の老人の戯言など聞く道理などない。が、アンリエッタのいるトリステインの話を持ち出されれば話は違う。 「いいだろう、スヴェルの月夜だと言うのに随分と騒がしく眠気も覚めてしまった。一つ、夜話ついでに聞かせてもらえないだろうか」 ウェールズの興味を引いた時点で、ジョセフの計画は成ったも当然だった。 口の端を不敵に吊り上げたまま、ジョセフは友人達へ視線をやった。 「それでは、わしの主人と友人達にも同席をお許し頂きたいんですが構いませんかな?」 「ああ、大歓迎だ。それでは……ホールに行くとしよう。私の部屋は客人をもてなせる部屋ではなくなったようだからね」 苦笑を浮かべるウェールズに、ジョセフはいつも通りの悪戯めいた笑みを見せる。 「宝石箱だけはわしの部屋に何故か避難しておりました。何とも不思議なことですな」 その言葉に、一瞬ウェールズのみならずルイズ達も動きを止めた。 「アっ……アンタ何してくれてるのよぉーっ!!」 腕の中から上がったキンキン声に、ジョセフも思わずのけぞった。 王子の部屋に忍び込んで殺傷能力の高い爆弾を仕掛け、ついでに宝物を拝借する平民。何の情状酌量もなく即刻手打ちになって然るべき大罪である。 しかしウェールズはたまらず笑みを零し、それから弾ける様な大きな笑い声を上げた。 「全く! 出会ってからこの方一本取られてばかりだ! しかも私の命を救い裏切り者を誅しただけでなく、私の大切なものまで守ってくれるとは!」 こみ上げる笑いを堪え切れないまま、ウェールズはルイズに向き直った。 「ミス・ヴァリエール」 「は、はい!!?」 思わず声を裏返らせてジョセフの腕の中で固まるルイズに、皇太子は愉快さを隠しもせずに言った。 「君の使い魔殿は全く以って痛快だな! 羨ましさばかりが先に立つ、大切にすべきだ!」 「言われなくてもご覧の通り、とっくにダーリンにメロメロですわよ殿下」 その様子をチェシャ猫の様な楽しがるだけの笑みで口元に手を当てるキュルケの言葉に、ルイズが毅然と反論を試みた。 「ななななな何をねねねねねね捏造ししししししてくれてるのかしら!」 「君はとりあえず落ち着くべきだ」 この騒ぎも何処吹く風で読書を続けるタバサの横で、見かねたギーシュが呆れ顔でツッコミを入れた。 そのままの賑やかさを維持したまま、つい数時間前まで華やかなパーティが行われていた大広間に到着する。パーティの片鱗すら感じさせぬほど整然と片付けられたホールは、最後の務めとなる明朝の食事を待つだけだった。 全員が一卓のロングテーブルを囲んで座ると、ジョセフは企みを含んだ楽しげな笑みを自重しようともせず、広いホールに集まったたった五人の観客をぐるりと見やった。 「さてお集まりいただいた善男善女の皆々様、少しの間老いぼれの戯言に付き合ってもらうとしますかなッ」 それからジョセフのプレゼンテーションが開始された。 最初のうちこそ、メイジ達は「愉快な使い魔の一芸」を観覧するかのような気楽さで聞いていた。 しかしジョセフの説明が進んでいくに連れ、メイジ達の両眼には誰の例外も無く驚きの色が色濃く積もっていく。 タバサでさえ本から目を離し、驚きを隠さない目でジョセフを見つめるほどだった。他の面々は、言うまでもない。 さしたる時間も経たないうちに、ジョセフは五人のメイジ達の顔にただならぬ真剣さを帯びさせる事に成功していた。 「――とまァ、大体こんな感じかの。わしの見立てではこれで明日、レコン・キスタの連中に目に物見せてやれる。ただ手は幾らあってもいいんでな、わしの敬愛する主人と友人達にも助力を願うことになるんじゃが」 そのへんどうよ、とジョセフがルイズを見れば、信じられないと雄弁に語る瞳孔の開いた両眼でジョセフを見返していた。 「……それが本当なら、私達に断る理由なんてないわ。でも信じられないわ、そんな事が本当に出来るの!?」 大きく頭を振り、ジョセフが語った言葉をもう一度頭の中で繰り返すルイズ。 「わしの住んでた国ではけっこーオーソドックスな手段でな。非常に手軽で安価で便利じゃ。効果の程はわしが保証する」 「ジョジョ! 理屈は判った、でも問題は多い! 明日の決戦……確か正午だったか、それまでに本当に準備できるというのか!?」 ギーシュもまた、荒唐無稽としか思えないジョセフの言葉を信じ切れずにいた。 「なーに、このニューカッスルには三百のメイジと三百の使い魔がおる。まー多少時間は厳しいかもしれんが、問題ない」 「……でももっと大きな問題があるわ、ダーリン」 そっと手を上げたキュルケが言葉を繋げる。 「ダーリンをよく知ってる私達でさえ、今の話を信じ切れてないわ。そんな話を、どうやって他の貴族達に信じさせるというの?」 至極尤もな言葉にも、ジョセフは想定内の質問とばかりにニヤリと笑った。 「なァ~~~~~に、そんな初歩的なコトをこのジョセフ・ジョースターが考えてないワケがないじゃろ。まーァ見ておれ、ここで一つわしがいいモンを見せてやろう。 ただそれにはちょいと杖を貸してもらわなくちゃならんのと、今すぐに国王陛下にお目通り願わなくちゃーならんがなッ。このジョセフ・ジョースターの真骨頂を是非披露したくはあるんじゃが~~~~~」 そこで一旦言葉を切り、チラ、とウェールズ達を見る。 全員今にもエサに食いつきたくて仕方がないが、果たして本当に食いつくべき代物なのか悩みに悩んでいるのが手に取るように判る。ジョセフはそこで満を持してとどめの一言を放った。 「ま、どーせ信じろって言われてもムリな話じゃし。大人しくわしらはシルフィードに乗って帰るほうが無難じゃわなー」 こくり、と唾を飲んだ音が聞こえ。次の瞬間、バネでも仕掛けられたように勢いよく立ち上がった人物に、全員の視線が集まった。 「どうせ明日までの命だ、今夜以上に痛快な光景が見られるというのなら……!」 全員……いや、ジョセフ以外の視線は、驚愕。 してやったり、と笑うジョセフに、ウェールズは意を決して笑い返した。 「アルビオン王家の王子として約束しよう、今すぐにでもアルビオン王への謁見を許すと!」 六人で使うには余りに広すぎるホールに響く、皇太子の言葉。 「グッドッ!!」 68歳とは到底思えない満面の笑みにウィンクまでつけてサムズアップし、それからルイズ達に向き直る。 「さぁ、後は杖だけじゃな! さぁさぁ、このジョセフの口車に乗ってみせる向こう見ずはどこにおるッ!」 「いいわッ! 本当なら絶対、ぜぇぇぇぇぇぇったい触っちゃいけないモノだけど! 私は、私は!」 突き出された杖は、ルイズのそれだった。 「ジョセフ……自分の使い魔の本領とやら、主人として確認しなくちゃならない義務があるわッ!!」 ジョセフに向けて揺ぎ無く杖を突き出すルイズ。 その光景に、ルイズの同級生である三人は一様に驚きに捕われた。 メイジにとって杖とは、自分の誇りを示す証と言っても過言ではない。 そんな貴族の中でもプライドが恐ろしく高いルイズが、例え自分の使い魔と言えども平民に自分の杖を渡すなどとは想像だにし得なかった。 ジョセフの手が、まるで女王から授与される勲章を受け取るかのような恭しさで杖を受け取ったのを見届けると、自分の杖に掛かっていた手を離し、キュルケは愉悦を隠さずに言い切った。 「どうやら、このスヴェルの月夜は有り得ない事ばかり起こるらしいわねっ! ここを見逃したら一生悔やんでも悔やみ切れないことだけは判ったわ!」 断言したキュルケは、有無を言わさずタバサの手を取った手を上げた。 タバサも手を上げられたまま、小さくこくりと頷く。 自分以外が異様なテンションになっているのを見たギーシュは、おろおろと全員を見渡すが、最後には迷いや恐れを振り切り、叫んだ。 「ええい、こうなったらヤケだ! 僕も乗ればいいんだろう、ジョジョ!」 「そうじゃな、そうじゃなくっちゃなァ!!」 楽しくて仕方がない、と力一杯主張する笑みのまま、椅子から立ち上がった。 「さーあ、ここからわしのオンステージになっちまうワケじゃがッ。今から起こる事ははわしの友人達だからこそ見せておきたいモンじゃからなッ。しーっかり見といてもらわなくちゃ困っちまうぞ!」 自信満々に言ってのけるジョセフは、何が起こるかは言うつもりがないらしい。蓋を開けてのお楽しみ、と言う事を察したメイジ達は、一体これから何が起こるのか、大きな期待と多少の不安を胸に抱いたまま、ジェームズ一世の寝室へと向かうことになった。 ジェームズ一世には深夜の突然の訪問は堪えるようであった。 訪問してきたのが息子でなければ断っていただろう。 魔法のランプでほのかに灯された寝室の中、やっとの思いで半身を起こしたジェームス一世のベッドの傍らに、メイジに混じってとは言え平民の老人が跪いているのは、ある意味奇跡と称して良い光景である。 「何の用じゃ、トリステインからの客人達よ」 立ち上がるだけでさえよろめくような老いた王の声は、決して雄雄しいものではない。 「用の前に一つ。面白いものをご覧に入れましょう」 す、とジョセフが立ち上がり、杖を持ったまま寝台に近付く。 微かに聞こえる奇妙な呼吸音が波紋呼吸だと理解できたのは、ルイズ達魔法学院の生徒だけであり、王と王子にはそれが呼吸の音だとはすぐに理解は出来ない。 それからジョセフの口から呪文めいた言葉が流れるが、誰もその呪文が何なのか理解できない。それもそのはず、ビートルズの「GetBack」の歌詞を口ずさんでいるだけである。 それと同時に呼吸で練り上げられた波紋はジョセフの体内を駆け巡り、薄暗い寝室に太陽を思わせる光が灯っていく。 体内に巡る波紋を少しずつ右腕に集約させ、右手に凝縮し、杖に乗せ―― 「ちょっとだけ! 深仙脈疾走!!」 ボゴァ! と迸る音と共にジェームス一世の腕に当てられた杖から凄まじい勢いで流れ込む生命エネルギー! 「お、おおおおおおおお!!?」 ジェームス一世の全身から噴き出た波紋の残滓が、寝巻きを容易く引き裂く! 「な、何を!?」 何が起こるかを説明されていない一行は、王に起こった異変に息を呑む。 しかしそれもほんの瞬間の事。波紋の光が消えた部屋の中、ジェームス一世はくたりと首を俯かせて深く息を吐いた。 「さあ陛下、お手を」 ジョセフが差し出した手に伸ばされた手は、年老いた枯れ木のような手ではなく。若々しい生気に満ちた力強い手だった。 それだけではない。破れた寝巻きの狭間から見える肉体も往年の若さを取り戻していた。 「お、おおおおお……」 王の口から漏れる声すら、パーティで見せたような老いを微塵たりとも感じさせない。 自らの身体に起こった変化が信じられないながらも、ジェームス一世はあれほど難儀していたベッドから降りるという作業を、何の苦も無く行えた。その事実に、目を見開いた。 「こ、これは如何なることだ!? 一体、何が朕に起こったというのだ!?」 誰の助けを必要ともせず、両の足だけで支えられた身体を夢幻ではないかとひっきりなしに視線を走らせる王に、ジョセフは恭しく跪いた。 「失礼ながら、王にこのジョセフ・ジョースターの操る系統の片鱗をお見せしただけに過ぎませぬ」 「系統? 朕が知る四大系統の魔法に、この様な奇跡を起こす魔法などついぞ知らぬ!」 若さと生気を取り戻した驚きと、ふつふつと滲み出す歓喜に声を知らず張り上げても咳の一つすらする事はない。 ジョセフは不敵に笑って、王を見上げる。 「魔法の四大系統は御存知の通り、火、風、水、土。しかしながら魔法にはもう一つの系統が存在します。始祖ブリミルが用いし、零番目の系統。真実、根源、万物の祖となる系統」 魔法の授業で聞きかじった単語を繋げていかにもそれらしい説明を立て板に水の例えの如く並べ立てるジョセフ。 波紋の力を理解していなければ、ジョセフの口から流れてくる言葉がまるっきりの大嘘だとは誰も理解できないだろう。彼を良く知るギーシュでさえ(ジョジョはまさか本当に虚無の使い手だったのか!?)と考えるに至っていた。 まして波紋を知らないアルビオン王家の親子にとって、それを信じない訳には行かなかった。 「まさか……まさか! 零番目の系統、虚無だと言うのか!」 ジェームス一世は自らの身体に走った波紋の流れを、虚無の力だと誤解してしまった。 ジョセフは跪いたまま、ニヤリと笑って頷いてみせる。 「私はその力を、始祖ブリミルより授かりました。しかしながらこの力は軽々には見せられぬもの。ですがアルビオン王国のみならず他の王家に仇為す反逆者どもの蛮行をこれ以上見過ごす訳には行きませぬ」 いくらジョセフが奇妙な能力に事欠かないとは言えども、ジョセフの親友達は彼の真の能力をまだ見ていなかったことにやっと気がついた。 ジョセフの本領とはガンダールヴの能力でも波紋でもハーミットパープルでもない。 ジョセフの真の能力は、嘘を真実に変貌させるその頭脳と口先! 奇跡を見せ付けられた人間が、奇跡を見せつけた人間の言葉を疑うのは非常に難しい。ただでさえ甘い言葉が、乾いた砂に水を注ぐように王の心を支配していく。 老いたりとは言え一国の王が、平民の言葉を信用し、受け入れ、最後には始祖ブリミルが遣わした使徒であると完全に信用してしまう光景を、若者達は目撃した。 部屋の隅に置かれた水時計は、ジョセフ達が寝室に入ってから出るまでの時間を「23分」と刻んでいた。 後に、数人のメイジの共著により記された本は「23分間の奇跡」と題され、交渉術の秘伝の書として密かに受け継がれていくことになるのだが。 それはまた、別の、話。 To Be Contined →
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今、観衆達はただ唖然としていた。 魔法も使えないはずの平民は、ゴーレムをことごとく打ち倒すだけではなく、奇妙な『何か』を使ってゴーレム達の動きを止めるという事までして見せた。 そして今、ギーシュの右手は平民の左手が固く握り込んでいる。生殺与奪の権利を掌握された、ということだった。 「ま、まいっ……」 体面を守ることすら忘れて、恐怖に押しやられ「参った」の言葉を叫ぼうとするギーシュ。 ……だが。 ビリッと来たァ! 握られている右手から、まるで雷が走ったかのような感覚を受けて、言葉が断ち切られた。 「降参するのはまだ早いぞ。お坊ちゃんにはやってもらうことがある」 (なんだ!? これ以上僕に何をさせようと言うんだ!? 一体、僕に何を!?) 恐怖を通り越して絶望に至りかけているギーシュに、ジョセフはただ静かに言った。 「お前さんが二股かけてたレディ二人と、お前が八つ当たりしたシエスタに今すぐこの場で謝罪せい。 それをせん限り、わしはお前の負けを認めはせん。こいつぁ決闘なんじゃからな、ここで死のうがどうなろうが構いやせんよなあ?」 そう言って、ギーシュの眼前で右拳を握り締めるジョセフ。 何気なく見せられる拳は、ワルキューレを破壊する兵器なのだ。もしあれで殴られればどうなるのか……考えるまでもない。 初めて死に直面した少年は、気付いた時には首を縦に振っていた。 「わ、わかった……謝る、だから手を離してくれないか……僕だって男だ、決闘相手に手を握られたままレディに謝罪するような無様な真似はしたくない。 謝るなら、彼女達に向き合って謝りたい……」 「いいじゃろ」 ジョセフはあっさりと手を離す。 「……感謝する」 指の痕さえついた右手を摩りながらも、薔薇は離さないまま。生徒の人垣に視線をめぐらせ、まず金髪の縦ロールの少女を見つけ、大きく頭を下げる。 「僕が不甲斐なかったせいで君を傷つけた! 心から謝罪するよ、モンモランシー!」 続いてもう一人の少女を見つけると、彼女にもまた大きく頭を垂れた。 「ケティ、君の気持ちは嬉しかったが……僕にはモンモランシーがいるんだ! だから君とのお付き合いはここまでにしてくれ!」 そして最後に、シエスタに視線を向けた。 彼の貴族としてのプライドが、果たして平民に頭を下げていいものか悩むが……(平民とは言え、彼女はれっきとしたレディだ)と、ギーシュは意を決した。 「申し訳ない! ええと……」 ちら、とジョセフに視線をやり、小声で「彼女の名前を教えてもらいたい」と囁いた。 「シエスタじゃ」 「シエスタ、こんな事を言えた義理じゃないかもしれないが、僕の八つ当たりで関係ない君にも迷惑をかけてしまった! 心から謝罪を申し入れたい!」 そう言い切ってから、深々と頭を下げる。そして頭を上げて、ジョセフを見やった。 「ミス・ヴァリエールの使い魔。寛大な心に感謝する。……降参を許してくれるか?」 「許す……と言いたいが、シエスタを侮辱されたわしの分も残っておる。成る丈手加減してやるから、歯ぁ食いしばれ」 ジョセフの言葉にうぁ、と小さくうめき声が漏れたが、判った、と覚悟を決めて目をつぶり、歯を食いしばった。 人間は殴られれば数メイル吹き飛ぶということを、この場に居合わせた全員が知ることになった。頬を赤く腫らして倒れたギーシュの手からは、薔薇が落ちている。 つまり。 「使い魔の、勝ちだああああッッッ!!」 ド、と広場に歓声の渦が巻き起こった。 「ジョセフさん!」 これまでの経過を懸命に見守っていたシエスタが、弾かれたようにジョセフへと駆ける。 貴族との決闘を終えたというのに、まったくの無傷で立っているジョセフ。平民の自分に貴族が謝罪したという事実。 駆け寄ってみて、それが夢ではなく現実だということが、改めて理解でき……込み上げて来る感情を抑えきれず、彼女の両目からは涙がぽろぽろと落ちていった。 「泣くな泣くなシエスタ。こりゃわしの個人的な決闘じゃ、心配かけてすまんかった」 泣きじゃくって言葉の出ないシエスタを、安心させるように頭をぽんぽんと撫でてやり。 それから、今しがた殴り飛ばしたギーシュに視線を向けた。 起き上がるでもなく、ただ空を見上げているギーシュの側へ歩み寄ると、声をかけた。 「生きとるか、色男のお坊ちゃん」 「……色男が台無しになったかもしれないよ。手加減すると言ったじゃないか」 苦笑しながら憎まれ口を叩くギーシュの横に、ジョセフはからからと笑いながらあぐらを掻いた。 「あのワルキューレ達のようにならんかったんじゃぞ? 手加減するのに苦労したわい。どれ、ちっと大人しくしとれ。今からちょいと色男を治してやろう」 そう言うと、ジョセフはギーシュの頬に手をかざし。ゆっくりと練った波紋を送り込んでいく。 今度こそ、ジョセフがほのかに光ったのを観衆は目の当たりにした。 「……なんだ、その光は? 君も……メイジだったのか?」 ぼんやりと問うギーシュに、ジョセフはごく当たり前のように答えた。 「うんにゃ、わしゃメイジじゃないんじゃ。これは生まれつき出来ることじゃからな……魔法と言うのは勉強しなきゃ使えんのじゃろ?」 「……まあその通りだ。それに……君の光は何だか心地がいい。何だか本当に痛みが引いていく気がするよ」 「気がするよ、じゃなくて本当に痛みを引かせておる。なぁに、こんぐらいならすぐ治るぞ。色男のお坊ちゃん」 ジョセフの呼びかけに、ギーシュはまた苦笑を浮かべた。 「……残念だが僕は色男のお坊ちゃんじゃない。ギーシュ・ド・グラモンだ。ギーシュと呼んでくれて構わない」 「そうか。わしは世界で一番カッチョイイナイスガイ、ジョセフ・ジョースターじゃ。なんじゃたらジョジョ、と呼んでくれて一向に構わん。 ところで、さっき謝った中に本命がおったようじゃな。モンモランシー、じゃったか。決闘に負けて恥を晒したついでじゃ。 騙されたと思って老いぼれの戯言を聞いてみんか」 訝しげに眉を顰める彼に、ジョセフは耳打ちをする。 最初のうちこそ疑い半分に聞いていたが、少しずつ彼の目が驚きで見開かれていく。 「ジョっ…ジョセフ、そんな手が……?」 「ジョジョでいいと言うたじゃろ。もうこんだけ恥をかいたんじゃ、ざっくりとやっちまえ。言うとくが効果覿面じゃぞ、二度と二股なんぞかけられんようになるくらい懐かれるわい」 「……もし逆効果なら、今度は僕から決闘を挑むぞ。ジョジョ」 不敵に笑うギーシュに、ジョセフは同じく不敵な笑みを返した。 「そん時ゃ、一発くらい殴らせてやるわい。ほれ、終わりじゃぞギーシュ」 気付けば、ギーシュの頬からは痛みがすっかり引いていた。先程宙を飛ぶほど殴り飛ばされたはずなのに、まるで腕のいい治癒魔法をかけられたかのような清々しさだ。 これからしばらくは学院中の笑い者になるだろうが、それはそれで構わない。 あの瞬間に感じた死の恐怖と比べれば、その程度の屈辱なんて物の数にも入らない。 「ところでジョジョ。色男にかまけて泣いてるレディを放って置くのは感心しないな。早く行ってやりたまえ、何と気が利かない」 シッシッ、とわざと邪険に手を振りながら立ち上がるギーシュに、ジョセフは後ろを振り返り、まだ泣きじゃくりながら顔を袖で拭いているシエスタへ慌てて駆け寄った。 厨房へ戻った二人を待ち受けていたのは、決闘を挑んだ直後よりもお祭り騒ぎな厨房の使用人の大歓迎だった。 ジョセフは揚げたてのフライドチキンと上物のワインを堪能したついでに、マルトーに自分好みのアメリカンなファーストフードの作り方を幾つか教えてから部屋に戻る。 ノックしてもしもぉ~し。 しかし、返事はない。鍵もかかっていない。 そっと扉を開けて中をうかがうと、ルイズは不在のようだった。 ジョセフはとりあえず、部屋の片隅に敷いてある毛布に腰掛けて主人の帰りを待つが、結局ルイズは夕方になるまで戻ってこなかった。 ジョセフは、結局心配になって様子を見に来たルイズが、決闘の経緯を目撃したことを知らなかった。ワルキューレを素手で破壊したのも、ギーシュに敗北を認めさせたのも、ギーシュを波紋で治したのも、全て。 ルイズは部屋に帰ってきてジョセフを見るなり、たった一言、怒鳴りつけた。 「アンタは三日三晩食事ヌキなんだからっっっ!!」 そして足音も荒く、扉を全力で閉めてから食堂へと向かう。 主の出て行った扉を見て、ジョセフは「難しい年頃じゃのう」と他人事のように考えていた。 次の日、モンモランシーが嬉しそうに頬を染めて腕にしがみ付いているギーシュから満面の笑みで「ジョジョ! 君は何と素晴らしい友人だ……心の友と呼んでいいかい!?」と申し出があったのを快諾し、キュルケの全力のアプローチを受けて鼻の下を伸ばすことになり。 そして不機嫌な主人から一週間食事ヌキの罰を言い渡された後、厨房でアメリカン料理の試作品を堪能しながら、シエスタに下にも置かせぬ丁重な扱いをされることに御満悦だった。 「こっちの暮らしも悪くないのう……もうしばらくこっちで宜しくやっちまうかァ!」 実の母親から「この子はいずれとんでもない大悪党かとんでもない大人物になる!」と称されたジョセフ・ジョースター。 彼の人心掌握術は、トリステイン魔法学院に年季の違いを見せつけまくっていたッ! To Be Continued →
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だがアンリエッタはジョセフの内なる感情とルイズの戸惑いにも気付かず、静々とした足取りでジョセフの前へ歩み寄る。 「貴方は……ルイズの使用人かしら?」 幾ら図体が大きく鍛えられた肉体を持つ男とは言っても、老人を恋人と勘違いするほど王女殿下の頭は間抜けでもない。ジョセフを使用人の平民だと判別したアンリエッタは、ルイズとの話が終わるまでは声を掛けなかったのである。 ジョセフはその扱い自体に憤る訳ではない。そういう身分制度だと理解しているからだ。 「いえ、わたしの使い魔です。姫様」 「使い魔?」 ルイズの言葉にアンリエッタは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしながら、まじまじとジョセフを見た。 「人……にしか見えないのですけれど」 「人です。親愛なる王女殿下」 ジョセフは改めて、膝をついて恭しく一礼をしてみせる。 堂に入ったその仕草に、アンリエッタはまあ、と感嘆の声を上げた。 「ルイズ・フランソワーズ、あなたは昔から変わっていたけれどまさか人の使い魔を持つだなんて思いもよらなかったわ。さすがね」 「何と言うか……たまたまというか……」 どうにも煮え切れない態度で言葉を選ぶルイズ。 だがアンリエッタはそんなルイズの様子に頓着することなく、殊更明るい声で言った。 「頼もしい使い魔さん」 「なんでしょうか、王女殿下」 アンリエッタのたおやかな微笑みに、ジョセフは静かに言葉を返した。 「わたくしの大切なお友達を、これからも宜しくお願いしますね」 す、と、左手を差し出すのに、ルイズは驚いたような声を上げた。 「いけません殿下! そんな、使い魔に手を許すだなんて!」 「いいのですルイズ。忠誠には報いるところがなければいけません」 王族が平民に手を許す、ということは破格の褒美と称してもいい。何の躊躇いもなく平民に左手を差し出す王女は『貴族平民の区別なく分け隔てなく接する慈悲深い王女』と呼ばれるに相応しい。 (この世界で王族として育てられて、この優しさを持っておるッつーことは生まれ付いての優しい人間ということじゃな。――王族に生まれなければ幸せになれたじゃろう) 優しさだけで王族としてやっていけるかと言われれば、答えはNOだ。少なくとも、この世界では。 ジョセフは差し出された左手を見ながらも、音もなく立ち上がり、アンリエッタを見下ろした。 「……ジョジョ? 姫様が『キスを許す』ということよ、それ」 そのままキスをするだろうと思っていたルイズは、思わず声を掛ける。先程見せた怒りが、なおも消えていないばかりか、それがアンリエッタに向けられているように思え、声色はかすかに不安を帯びていた。 だがルイズの予感は、的中していたのだった。 左手を差し出したままのアンリエッタは、自分より頭二つほども高いジョセフの背に、思わず目を丸くした。 二人の美少女の視線を受けたまま、ジョセフはゆっくりと口を開き、言葉を紡ぎ始めた。 「――わしはこの年になって16歳の小娘の使い魔なんかやっておる。主人はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールという名前じゃ。 顔は可愛いが高飛車で癇癪持ちでワガママでそりゃーいけすかん小娘じゃ」 脈絡もなく始まった言葉に、アンリエッタもルイズも虚を突かれていた。 「メイジが貴族だと呼ばれるこの世界で、このルイズは魔法を使えば爆発するし周囲からもゼロと呼ばれてバカにされてもおる。 じゃが、これほど貴族の誇りを美しく持った者をこの学院では他に見たことがない。他の誰が認めずとも、このルイズは紛う事無き貴族じゃ。王に戦えと言われればその身を戦場に投じることも厭わんし、国の為に死ねと言われれば死んでみせる覚悟もある! わしはルイズの使い魔として、危険な戦場の只中であろうとも主人の仰せ付かった任務を成功させる助けをしてみせるし、必ずやわしらはどんな場所からでも生還してみせる!」 淡々と紡がれる言葉は、言葉が続くに従って緩やかに、着実に熱を帯びていく。 最初はバカにされているように感じたルイズも、ベタ褒めと言ってもいい言葉がジョセフの口から流れ出るのに悪い気はしなかった。 何を言い出しているのか判らなかったアンリエッタも、(ああ、自分達は王女の頼みを受け入れ、いかなる危険であろうともそれを乗り越えてみせると言う決意表明なのだわ)と判断してからは、慈愛と信頼を含んだ笑みでジョセフを見上げていた。 「だがッ!」 しかし、一喝にも似たジョセフの言葉が、弛緩した部屋の空気を一変させた。 アンリエッタは、自分を見下ろしているジョセフの燃える様な視線の意味が理解できなかった。それは久しくアンリエッタが受けた覚えのない類のものだったからだ。 だが、ルイズは。王女殿下を見下ろすジョセフの視線の意味を即座に理解した。 あれは――怒り、だ。 「なっ……待ちなさっ……!」 「アンリエッタ王女ッ! ルイズの輝ける誇りに比して! アンタの無様さにわしは怒りを覚えたッ!!」 ジョセフの恫喝に、部屋の空気が痛々しいほど凍りついた。 自分の予想を遥かに超えた厳しい言葉がジョセフの口から奔ったのに、ルイズの制止の声自体が制止し、アンリエッタは慈愛に満ちた微笑み自体を凍りつかせてしまった。 「何が真の友情か、何が忠誠か! アンタのその腐れた根性で尊い言葉を弄ぶなッ!!」 駄目押しとも言わんばかりの激しい言葉。 「あッ……アンタって奴はぁぁぁぁぁぁッッッ!!」 全く予想も出来なかった事態から我に返ったルイズが、ジョセフのこれ以上の狼藉を止めようと素早く駆け寄り、風を切って乗馬鞭を振るい――その先端が、腕を差し出した使い魔の身体に初めて傷を付けた。 波紋戦士でスタンド使いのジョセフと言えども、鞭で叩かれて痛くないはずがない。現に鞭を受けたシャツは布地を引き裂かれ、皮膚にはうっすらと赤い傷が浮かんでいる。 常人ならば悲鳴を飲み込みことも出来ない痛みが走るが、しかしジョセフは僅かに眉根を寄せただけで、苦悶さえ浮かべない揺ぎ無い目でルイズを見やった。 使い魔のジョセフでも友人のジョジョでもない、貴族ジョセフ・ジョースターとしての目。 年輪を重ねた老人の思慮深さと、誇り高い血統の末裔を示すように輝ける力強い意思――貴族の威厳と称すべき視線にルイズは知らず気圧され、再び鞭を振るうことを躊躇わせた。 それからもう一度、その視線がアンリエッタへと向けられた。 アンリエッタは彼が向ける視線を、いつかどこかで受けていたはずだったが、それを受けたのはいつだったのか、どこだったのか、すぐには思い出せず。 無礼と断ずることも、反論することも出来ず、ただ、ジョセフを見上げて息を飲んだ。 「今にも味方が敗北しそうな戦場の只中に行くのはいい、そこに国の命運がかかった代物があるというのならこのルイズは王に仕える貴族の誇りをもって死を厭わず向かうだろうッ! 今アンタが見たように、躊躇うことなく命を賭した任務を買って出たッ! だがアンタは! 真のお友達と称したルイズを危険な戦場に赴かせる危険を知っていてなお! 自らの命で友を死地に向かわせることを恐れたッ!!」 峻烈な言葉が、矢継ぎ早に投げかけられていく。だが、アンリエッタは怒ることもなく、泣き出すこともなく、ただ、腹の底から湧き上がりそうになる感情の奔流を押し潰すように、強く歯を噛み締め、杖を両手で固く握り締めていた。 「アンタは友人の頼みという体面で、哀れな悲劇のヒロインを演じてルイズの同情を買ったッ! 王女として命令するのではなくッ! ただの無力なアンリエッタが昔の友人の同情を誘って、友人の口から自らが向かうと言わせたッ! その形なら、例えルイズが命を落としたとしても『自分が命じて殺した訳じゃない、私の友人が自ら死地に赴いただけのこと、私が悪いわけじゃない』と自分に言い訳が出来るッ! アンタは輝ける誇りある貴族に、王女として振舞わなかった! 下らない三文芝居までしてみせて、その代償に友人を死地へと追いやろうとしたッ! 王族の誇りを捨て、自らに仕える貴族にへつらった! そんな腐れた魂の何が王女か、何がルイズの友達かッ!」 ルイズもアンリエッタも、自覚していなかったやり取りの意味。何気ない会話のベールを被って知れず潜んでいた内面は、ジョセフの手によって光の元に晒され続ける。 そんな意図が本人達になかったとしても。言われてみればそうとしか言えない歪んだ意図が、躊躇いなく正体を暴かれ続けるのを見つめているしか出来なかった。 「アンタはルイズに命を賭けさせるのに、アンタは王家の責務を果たそうとしていないッ!! アンタは確かに生まれは高貴なトリステイン王家の生まれじゃろうよッ! じゃがその魂は、わしの主人が仕えるべき存在には全く相応しくないッッッ!!!」 今ここで、ジョセフの言葉を上回る意味を持つ言葉を、アンリエッタもルイズも、何一つ用意することが出来なかった。 妬みややっかみの欠片さえ見つからない、純粋な怒り。だがそれは、アンリエッタが生まれてこの方投げられたことのない類の怒り。 甘えた少女を叱咤する、自らの意思で立って歩めと叫ぶ激励の怒りであった。 「アンタが本当にトリステインの王女でありッ! ルイズの友人だというのならッ!! ただのアンリエッタではなく、トリステイン王国の王女アンリエッタとして命令を下すべきじゃッ! 『トリステインの為、死地に赴いて王女の任務を完遂せよ』と! ただの友人の願いではなく、王女直々の命でアルビオンに向かわせると! “アンリエッタ王女殿下”が本当にルイズ・フランソワーズを友人だと思うのなら! 王女殿下は王女殿下の誇りを持って、誇りあるトリステイン貴族に命を下して頂きたい! 殿下はどうなされるのか! 見せて頂きたいッッ!!」 皮肉や嫌味のない真実のみで象られた言葉の重さと、強さを。 アンリエッタにもルイズにも、理解できた。 痛いほど鼓動する心臓を抑えようと、胸に手を押し当て。知らず乾いていた喉に唾を飲み込ませて喉を湿らせると、重量さえ感じさせるジョセフの視線に、自分の視線を合わせた。 「――わかりました」 ただの一言ではあるが、ジョセフはただそれだけの言葉に、先程まで失われていた王族の威厳を感じ取った。 す、とジョセフからルイズに身体を向けたアンリエッタの所作に、ルイズは呼吸するかのような自然さで、膝をついた。アンリエッタがフードを脱いで正体を明かした時のような反射的な所作ではなく、王女に恭順の意を自ら示す為に、膝をついた。 「ルイズ・フランソワーズ。私は忠実たる貴族たる貴方に泥を塗りたくるような侮辱をしてしまいました。栄えある王族として、恥ずべき振る舞いを弄してしまった事を心より悔います。同じ過ちを二度とはしないように、始祖ブリミルにこの場で誓約します」 始祖ブリミルだけではなく、ルイズと、そしてジョセフにも聞こえる高らかな声で誓約し。 次にルイズに立ち向かったのは、お友達のアンリエッタではなく。 トリステイン王国王女、アンリエッタ殿下その人であった。 「トリステイン王国王女、アンリエッタが、ヴァリエール公爵家が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに命じます。 貴女方は今これより、わたくしの命に従いアルビオンに赴き、ウェールズ皇太子より一通の手紙を受け取りに行って貰います。これはトリステインのみならず、始祖ブリミルの末裔たる三王家の威信がかかった重要な任務です」 王家の血族が、自らに仕える貴族に命令する言葉としてはもはや申し分のない言葉である。続いてもう一つの言葉を発するべきかどうか僅かな逡巡が端正な顔に滲んだ。だが、それでも意を決し、締めるべき言葉を発した。 「――その命に代えても、任務を果たすように」 「……はっ。この命に代えましても、必ずやこの任務やり遂げましょう」 王家の為に死ね、と。 心を許した友人にそう宣告する辛さは、アンリエッタの心を嫌と言うほど斬り付けた。 けれど。先程までただの悲劇のヒロインを気取っていた自分が、あまりにも愚かしく無様に見えた。王女としての責任から目を背けようとしていた自分を、嫌悪した。 友人の厚意に甘えて自分の責任から逃避しようとしていただなんて。先程の自分が目の前にいれば平手で打ち据えたい衝動に駆られていた。 静かに吐息を漏らすと、もう一度ジョセフに向き直り、彼を見上げた。 「……使い魔さん。もし良ければ、貴方の名前を聞かせてもらえませんか」 名を聞く言葉に、ジョセフは右手を自分の胸にかざしながら膝をつき、頭を垂れた。 「わしですか。わしの名は、ジョセフ。ジョセフ・ジョースターと申します。先程までの非礼の数々、この老いぼれの首を差し出してもなお償えないとは存じております――が。それでもなお、我が主の命を賭した任務に、王女の言葉がないのでは。主が、報われなかったのです」 すまなさそうに俯くジョセフに、王女はあの慈悲を湛えた微笑みを返した。 「いいえ、ジョセフさん。貴方の言葉は、この愚かなアンリエッタの心を強く震わせました。貴方の言葉がなければ、私は王女としての矜持を忘れ去ってしまうところでした」 アンリエッタとしての笑みの後、表情を引き締めて王女の貌でジョセフを見やる。 「もし、貴方が私への非礼を償いたいと思うのなら。わたくしの大切なお友達のルイズと、ルイズの大切な使い魔である貴方が、どうか無事に帰ってきてほしいのです。友達面で擦り寄ってくるだけの宮廷貴族達とは違う……私に真に忠誠を誓うあなた方が、私には必要です」 「王女殿下の命令とあれば、例え地獄の底からでも」 「いいえ、これは命令ではありません」 栗色の髪が、音もなく左右に揺れ。ブルーの瞳が、ジョセフとルイズを見つめた。 「――友人としての、願いです」 膝をついたままの二人は、一様に満足げな笑みを浮かべてアンリエッタを見上げる。 「このわしごときには、身に余る光栄ですじゃ。もし、王女殿下がわしを友人だと認めてくださるのなら……わしの友人達は、わしのことをジョジョ、と呼ぶのですじゃ」 「ええ、ジョジョ。わたくしのルイズを、宜しく頼みます」 そして、改めて左手を差し出す。ジョセフは音もなく跪くと、差し出された手を優雅な動作で取った。 「王女殿下の願いとあれば。わしは、殿下のいやしきしもべに過ぎませぬからな」 そう囁いて、手の甲に恭しく唇を触れさせた。 「――ああ、その様な物言いをする貴族も減ってしまいました。祖父が生きていた頃は……フィリップ三世の治世には、貴族は押しなべて恭順を示していたというのに!」 瑞々しい美しさを湛える王女の面持ちには似つかわしくない、嘆きの表情が浮かぶ。 ジョセフは左手を離すと、視線を静かに王女に合わせ、言った。 「もし、殿下が貴族達に恭順を示される存在となりたいのならば、主人もわしもこの身を惜しまず殿下の手足となりましょう。今、殿下の中に脈打った輝かしい誇りを、どうか忘れずにお持ちくだされ」 アンリエッタはその言葉に、ルイズに駆け寄ると彼女の手を取って固く握り締めた。 「ああ、ルイズ! わたくしのルイズ! 聞きましたか今の言葉! わたくし、今夜と言う時がこんな素晴らしいものになるだなんて思いもよらなかったわ! 今夜、ルイズ・フランソワーズとジョセフ・ジョースターというかけがえのないお友達を得ることが出来たのだわ! ねえルイズ、この奇跡を始祖ブリミルに感謝するしかないのかしら!」 「ああ、姫殿下! その様な勿体無いお言葉! わたくしも姫殿下にお友達と呼んで頂けたこの夜のことは、決して忘れることのない栄えある日として一生心に刻み付けますわ!」 ひしと抱き合って紅涙にむせぶ二人を見て、芝居がかっていたのはどうやら計算ずくではなくて、トリステインではそういうのが当たり前だったんかのう。と、ちょっとジョセフは後悔した。 とりあえず、一件落着かなと思っていたところに。ばたーんとドアが開いて……というか、聞き耳を立てようとして身を乗り出したら体重がかかりすぎてそのままドアを押し開けて部屋に入ってしまいましたよ、という風情のギーシュが転がり込んできた。 「何じゃギーシュ。盗み聞きは趣味が悪いぞ」 この場で唯一冷静なジョセフが冷めた目でギーシュを見下ろす。 「な、何よ! あんた、今の話全部聞いてたってワケ!?」 相変わらず薔薇の造花を手に趣味の悪いふりふりな服を着込んだ少年は、あ、え、と言葉を選んだ後、はっと我に返ってジョセフに向き直った。 「薔薇のように見目麗しい姫殿下の後を付けてみればこんな所へ来たんだ! それでドアの鍵穴から様子を伺えば……ジョジョ、君と言うやつは何と大それた真似をッ……」 あまりのバツの悪さに心に浮かんだことを次から次へと並べ立てるが、そもそも事態は解決しているのである。 ギーシュは薔薇の造花を振り回して決闘だ、と言おうとした所で、波紋をたっぷり流された毛布で殴り倒された。 「げぼぁッ!!?」 「このドアホウがッ!! てめェ姫殿下の後をコソコソ付回すだけじゃなくてレディの部屋を盗み聞きしといてなぁにデカい顔しとるんかッ!」 ジョセフは倒れたギーシュを引き起こすと、コブラツイストをかけた。 「いだだだだだだッ! ギ、ギブキブギブっ!!」 「で、どうしますかの。姫殿下の話を不埒にも立ち聞きしとったようですが。とりあえず打ち首と縛り首のどちらにしましょうかの」 コブラツイストを解かないまま、アンリエッタに問いかける。 「ひ、姫殿下ッ……その困難な任務、どうかこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう……」 「てめェまだ懲りとらんのか! お前はモンモランシーといちゃついとれッ!」 「グラモン? あのグラモン元帥の?」 アンリエッタがきょとんとした顔で珍妙に身体を極められたギーシュを見た。 「む、息子でございますッ! 姫殿下ッ!」 懸命にジョセフから抜け出したギーシュはほうほうの体で跪いて一礼した。 「貴方も、わたくしの力になってくれるのかしら?」 「はッ! 王女殿下の任務とあれば、望外の幸せにてッ!」 懸命に忠誠を誓う言葉に、アンリエッタは優しげに微笑んだ。 「ありがとう、この学院にはわたくしに忠誠を誓う貴族がこれほどに多いことに喜びを感じます。勇敢なお父上の血を引く貴方の働きに期待します、ギーシュ・ド・グラモン」 「ひ、姫殿下が……ぼ、僕の名前をッ……」 喜びのあまり卒倒したギーシュを無視して、ルイズは真剣な面持ちで王女を見た。 「では明日の朝、アルビオンに向かって出発いたします」 「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます。アルビオンの貴族達は貴方がたの目的を知れば、ありとあらゆる手を使って妨害をかけてくるでしょう」 アンリエッタは机に座ると、羽ペンと羊皮紙を使って手紙をしたためる。 書き上げた文章をもう一度読み直し……幾許かの躊躇いの後、末尾に一行付け加えたアンリエッタが悲しげに何かを呟いたのは判ったが、ルイズには何を呟いたのかは判らなかった。 密書だというのに、まるで恋文を書いている様な切ない色が見え隠れしたのだが、それが何かを問いただすことも出来ず。胸の前で手をそっと握り締めた。 アンリエッタは書き上げた手紙を丸めると、取り出した杖を振る。すると手紙に封蝋がなされ、花押が押される。正式な書状となった手紙を、ルイズに手渡す。 「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を渡してくれるでしょう」 そして王女は右手の薬指から指輪を引き抜くと、それもルイズに手渡した。 「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです、お金が心配なら売り払って路銀にあててください」 ルイズとジョセフは、深く頭を下げた。 「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹きすさぶ風からあなたがたを守りますように」 王女殿下が部屋を去った後、姫殿下への無礼を責めるルイズと、臣下だからこそ君主の非を指摘するべきだと主張するジョセフの間で、大討論が繰り広げられた。 トリステイン代表ヴァリエール公爵家三女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国代表ジョースター家当主ジョセフ・ジョースターの対決は夜が明けてもなお決着がつかなかった。 途中で意識を取り戻したギーシュは二人の余りの剣幕に嘴を端挟むことさえできずこっそりと自室に帰り、目覚めたデルフリンガーは眠る前より事態が悪化していることを知り――泣いた。 To Be Contined →
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隣の部屋で情熱の炎が燃え盛っているのも知らず、ルイズは夢を見ていた。 ラ・ヴァリエールの領地にある屋敷の中庭にある池。 幼いルイズにとって、そこは安心できる『秘密の場所』だった。季節の花々が咲き乱れ、小鳥が集う石のアーチやベンチがある。岸辺から池の真ん中に伸びる木の橋の先には小さな島があり、その島には白い石造りの東屋が建っており、ほとりには一艘の小舟が浮いていた。 常に手入れは行き届き、こじんまりとしているが風光明媚と称せる美しさを保っている。 かつては家族でこの池に浮かべた小舟で舟遊びをすることもあった。今は家族――父も母も二人の姉も、誰もこの池に興味を向けない。が、それ故に幼い頃のルイズにとってここは安息の地であった。 二人の姉に比べて魔法の成績が悪いと母に叱られた時、ルイズは決まってこの池に逃げ込むと小さな小舟に乗り込んで、用意していた毛布を被って隠れて泣きじゃくるのだ。 やがて一頻り泣きじゃくって顔を上げると、いつの間にか小島にやってきていたらしい、マントを羽織った立派な貴族と目が合った。 「泣いてるのかい? ルイズ」 つばの広い羽根つき帽子が顔を隠しているので、顔はよく見えない。だがルイズには彼が誰かすぐに判った。自分より十歳年上で憧れの子爵様。十六歳になってすぐに近所の領地と爵位を相続した憧れの方。父と彼の父の間で交わされた約束の人―― 「子爵様、どうしてここに?」 「ルイズの姿が見えないとお母様が探されておられてね。きっとここにいるだろうと思った」 だって君のことは何でもよく知っているからね、と囁くように言われたルイズは、かぁっと顔が赤くなるのを止められなかった。 恥ずかしいのもあったが、憧れの子爵様にそう言われて嬉しい、という気持ちの方が強いというのもあった。 「子爵様ったらいけない人……私なんかからかって、何が楽しいのかしら」 ルイズはこの頃から意地っ張りでつい憎まれ口を叩いてしまう性分だった。 「ふふ、今日はあの話で君のお父様に呼ばれてたんだけれど。それより先に、僕の小さなルイズにお目通り出来た僕は幸せ者だろうね」 だが子爵様はさも楽しそうに言葉を続けるものだから、ルイズの顔から赤みが去ることはなかった。 「だ、だって、私まだ小さいし……よく、わかんないわ」 目の前の子爵様が十六歳くらいということは、この頃のルイズは六歳くらい。やっと少女に差し掛かったばかりの幼いルイズには、恋とか愛とかと言われてもピンと来ないのだ。 けれど、そんなルイズでも一つだけは判ることがあった。 (私は、子爵様のことが大好き) 難しいことはよく判らない。でも優しくてかっこいい憧れの子爵様は、大好きだ。 「ほら、おいで。僕からお父様にとりなしてあげる」 そう言って差し出された左手を取り……違和感を抱いた。 あれ。子爵様は、こんなボロボロの手袋を付けてたかしら? それになんか、手が柔らかくない……なんか、銅像の手を握っているような…… 「ほれどうしたルイズ。早くせんと置いてっちまうぞ」 明らかに声の質が変わった! 今までの青年の声じゃない、明らかに老人の声! ばっ、と勢い良く顔を上げたルイズは、いつの間にか六歳のルイズではなく十六歳のルイズに戻っていた。 「あっ……あんた、どうしてここにいんのよ!」 「どうしてって言われても困るのう」 親指で帽子のつばを押し上げたのは、どこからどう見てもジョセフ・ジョースターだった。 「ここで押し問答しとってもしょうがないじゃろ? ほら、わしも一緒に謝っちゃるから」 そう言うと有無を言わさずルイズの身体を軽々と抱き上げ、おんぶしてしまった。 「何するのよ! 離しなさいよ!」 さっきよりずっと顔を赤くして頭をぽこぽこ叩くが、ジョセフは気にせず歩き続けていく。 「まあまあ気にせんでええじゃろ。どうせ夢なんじゃし」 身も蓋もないことをのたまうジョセフから離れようとするが、ハーミットパープルがしっかりと身体を縛り付けていて離れる事も出来ない。 だが不快では決してないというか、むしろ広い背中に背負われているのが安心する。けれどそう思っている自分に、どうにもいら立った気分が広がるのも事実だった。 うなされていたルイズががばっと勢い良く身を起こした。 窓の外を見ればまだ日も昇る気配すら見せず、二つの月が空を煌々と照らしている。 びっしょりと汗をかいていた額を袖で拭いながら、何故か荒くなっていた胸の鼓動と吐息を落ち着かせるように呼吸を整えていく。 「な……何よ、今の夢……」 今までに何回もあんな夢を見たことはある。池の小舟で泣いている自分に子爵様が手を差し伸べてくれて、とても安心できる夢。だが今日のような展開は初めてだ。 よりにもよってこんな夢を見てしまっただなんて、どうかしてしまったんだろうか。 呼吸は少しずつ落ち着いてきているが、鼓動は痛いほどに胸を打ち続ける。 それでもしばらくすれば慌しかった呼吸も鼓動も平静を取り戻してきた。だが呼吸と鼓動が落ち着くのに反比例するように、段々と怒りが込み上げて来た。 (人がせっかく気持ちよく眠ってるのに、どうしてこんなヘンな夢を見せるのよ……!) それというのも、毛布の上で暢気に眠りこけているジョセフのせいだと結論づけると、苛立ち任せに枕元の乗馬鞭を掴んでベッドから降りる。 (そんな躾の行き届いてない使い魔はきちんと躾けなくちゃならないわね……!) 行き場のない怒りを何処にぶつけるか。一番手っ取り早いのはその原因にその怒りをぶつけること……とどのつまり八つ当たりである。ぺしん、ぺしん、と掌に鞭を当てながら、安らかに寝息を立てるジョセフにゆっくりと近付いていき――はた、と足を止めた。 (……あれ?) 怒りに燃えるルイズの足を止めたのは、ジョセフの奇妙な寝息だった。 よく耳を澄ませてみると、ずっと吐き続けているだけで吸おうとしない。 思わず聞き入るルイズの耳には途切れることなく、文字通りのジョセフの吐息ばかりが続いていた。試しに自分も大きく息を吸い込んでからゆっくりと息を吐いてみたが、その挑戦が終わってもまだジョセフの吐息は続いていた。 そう言えば波紋を習いたい、と言った時に十分間息を吐いて十分間息を吸う呼吸が出来れば使える、とかそんなことを言っていたような。とすると寝たままでも波紋の呼吸をしているということで…… (もしかしたらわかんないように息を吸ってるのかしら) さっきまでの怒りは何処へやら、探究心と好奇心に駆られたルイズは机の上から一枚紙を持って来ると、ジョセフの顔の上に置く。そして傍らにしゃがみ込んで使い魔の観察を始める。 ジョセフの吐息がずっと紙に当たり続ける音が聞こえ、全く吸う様子は見られない。 やがて吐息が途切れ、今度は静かに息を吸う音が続き始めた。 (あ。吸い始めた) 次に吸い終わるのをじっと待っていたが、十分間もしゃがんだまま待っていたら足が疲れるのは当然なので、ベッドに戻って両手で頬杖突きながら観察してみる。 それからおよそ十分後、再び紙に吐息が当たり始めた時にはとっくにルイズの怒りは収まっていた。というより、再び眠気がルイズの頭に纏わりついて猛威を振るっていた。 (……何バカなことしてたのかしら。よく考えたら夢の話じゃない……) とんでもない夢を見たから混乱してただけで、落ち着いてみればそんな下らない事で何を怒ってたんだという話である。そもそも眠いから考えるのも面倒くさくなった、というのは往々にして大きいのだが。 そしてルイズは再び毛布を被って眠りに付いた。 ジョセフの並外れた強運は年老いてもなお健在であった。 ただ彼の強運が証明されたことはほとんど誰も知る由がない。 強いて言えば、煌々と光る二つの月と、鞘に収められたままのデルフリンガーだけが事の顛末を見守っていた、ということだ。 To Be Contined →
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虚無の曜日より、日付を跨いで僅かに三分。 ルイズは中庭で、蒼い髪を持つ少女と対峙していた。 才人とシエスタの姿は無い。彼らは、日付を跨いだ事もあり、すでに自室へと下がっている。 つまり、これより先、ルイズと蒼い髪を持つ少女―――タバサとの会合を止める者など一人も居ないと言う事に他ならない 「まずは・・・・・・お礼を言うわ。 貴方のお陰で、予定より早く、学院に帰る事が出来たんだから」 助かったわ、と告げるルイズに、タバサは僅かに首を動かし、その言葉を受け取る。 「でも―――」 二の句を継げるルイズの声色が変化する。タバサにとって最も身近で、最も嫌悪すべき感情を内包して。 「貴方が放った氷の矢・・・・・・痛かったわ。死ぬ程ね」 憎悪が爛々と燈る瞳は、もしも眼力だけで人を殺せるなら、13回はタバサを睨み殺す程の殺意を秘めていた。 だが、その殺意もすぐに飛散する。 ルイズ自身が瞳を閉じ、タバサを見つめるのを止めた為にだ。 「貴方は・・・・・・危険。だから、あの時は、殺すしかないと考えた」 キュルケはタバサにとって、掛け替えの無い大切な友人だ。 タバサ自身、自分の愛想が悪いことは理解している。 こんな自分に友人が出来るはずも無いと考えていた。だと言うのに、キュルケは自分に対して、まるで当たり前のように親しく接しくれる。 嬉しかった。 母親の再起と、父親の仇への復讐に生きていただけのタバサに、誰かと一緒に居る事の楽しさを思い出させてくれた。 その事実が、タバサにとって、ただ只管に嬉しかった。本当に嬉しかったのだ。 そんな友達を、目の前に居るこの女は才能奪い、あまつさえ殺す所であったのである。 「危険・・・・・・危険ね・・・・・・確かに、あの時、私は考え無しだった事を認めなければならないわ。 あの時の軽率な行動で、私は大切な友達を失う所だったんですもの」 虚空に視線を漂わせ、自然と口から紡がれたルイズの言葉に、タバサは目を大きく見開き驚きを表現してしまう。 「それは・・・・・・どういう意味?」 「・・・・・・あの時、キュルケは私を庇ってくれた。それで、ようやく分かったのよ。 キュルケは、私にとって本当に大切な人だって事に」 正確に言うならば、それは切っ掛けであり、本当に大切な友人であると確信したのは、後にキュルケの『記憶』を確認した時だが、そこまで伝える理由など無い。 「貴方は・・・・・・もう、彼女を殺すつもりも、才能を奪うつもりも無い?」 「決まってるじゃない。友達にそんな事出来ないわよ」 堂々と宣言するルイズの瞳は、先程の殺意は微塵も感じられず、高潔な輝きが見て取れる。 タバサには分からなかった。 あの戦いの時の、まるで世界全てを憎むかのように嘲笑していた少女。 それとも、今、目の前で、真っ直ぐ過ぎる瞳をしている少女か。 タバサには、分からなかった。 一体、どちらが本当のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールなのかが。 どちらが本当なのか、或いは、どちらも本当では無く、今だ彼女には隠された本当が存在するのか。 そこまで考え、タバサは頭を振った。 違う、今はそんな事を考えている時では無い。 今、ここに居るのは、目の前に佇む者に問うべき事柄があるからだ。 「訊ねたい・・・・・・事がある」 本題を切り出す。 訊ねなければならない事柄。 確認しなければならない事象。 「精神的に壊れていた彼を、貴方は治した・・・・・・どうやって?」 要約し過ぎた問い掛けに、ルイズは首を傾げた。 彼とは誰か? それに治したとは? 自分は、果たしてそんな事をしたのだろ――― 「―――あぁ、ギーシュの事ね。 何、あいつを治した事が、どうかしたの?」 別段、特別さを感じる事の無い抑揚の声に、彼女にとって、ギーシュを治した事が、本当になんでも無い事である事を表している。 「貴方が・・・・・・彼を治した?」 「正確に言えば、私じゃあ無いわ。こいつよ」 そう言って指し示す方向には、二つの月明かりに照らされたホワイトスネイクが銅像のように微動だにせず、ルイズとタバサ、二人を視界に収める形で立っていた。 「貴方の使い魔が、彼を治した?」 「そうよ」 「どうやって?」 「どうやってって・・・・・・」 怪訝な顔付きで、ルイズは疑問を投げ掛け続ける少女を見る。 授業なので見かける彼女は、無口を極めたように何事も語らない事が多い人物だ。 だと言うのに、今の饒舌めいた問いは一体なんだと言うのか。 「ねぇ、逆に聞くけど、どうして治した方法を知りたいの?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ここまで彼女が熱心になる理由をルイズは尋ねたが、帰ってきた答えは沈黙だった。 答えたくない。 もしくは、踏み込まれたくないか。 大方その辺りだろうと、当たりを付けたルイズは、敢えて答えを促さなかった。 言いたいのであれば、彼女は語るだろうし、言いたくないのであれば語らない。 確かに少し気になる事ではあるが、飽くまでそれは少しだけの興味だ。 何も、無理矢理に聞きたくなる程では無い。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 沈黙が続くタバサに、ルイズはホワイトスネイクに視線だけで合図を交わす。 ホワイトスネイクは微動だにしなかった身体を動かし、タバサへと近づいていく。 「アノ男ハ、治ッタノデハ無イ。忘レタダケダ。 マァ、広義的ニ見レバ治ッタト言ウ表現モ間違イデハ無イガナ」 「治ったのでは無い―――?」 静かに語りかけるホワイトスネイクに、タバサは呆然と語りかけられた言葉を反芻する。 「ソウダ、治癒トハ、根源ニ病巣ガ無ケレバ成リ立タナイ行為ダ。 ツマリ、新シク、治癒ト言ウ『記憶』デ病巣ヲ上書キシタト言ウコト。 私ガ、アノ男ニ行ッタ事ハ、治癒トハ、マッタクノ逆ニアタル。 私ハ上書キスルノデハ無ク、ソレマデノ『記憶』ヲ病巣諸共奪ウ」 「・・・・・・・・・・・・それは・・・・・・・・・・・・」 「人間ハ『記憶』ニ異存スル生キ物ダ。自分ノ体調ハ勿論、ソノ他ノ事柄モ全テナ。 酒ヲ呑ンデイナイ人間ニ、酒ヲ呑ンダト言ウ『記憶』ヲ与エレバ、与エラレタ人間ハ、呑ンデモイナイ酒ニ酔ウダロウ。 ツマリ、ソウイウ事ダ。『記憶』ヲ抜カレ、自分ガ壊レタ事スラ忘却サセレバ、人ハ壊レル前ノ『記憶』ニ基ヅイタ人間ヘト戻ル」 完全なる忘却。 今まで歩いてきた道を奪い、壊れてしまったその時まで強制的に引き返させる。 「治すのではなく・・・・・・戻す・・・・・・」 「ナルホド、物分リハ良イラシイナ」 納得するかのように頷くタバサに、ホワイトスネイクは感心からか、賛美を口にする。 なるべく簡単に説明したつもりであったが、まさか、こうまですんなりと理解してくれるとは、ホワイトスネイクも考えていなかった為にだ。 だが、そんな賛美は彼女にとっては関係無い。 理屈は理解できた。 予想していたモノとは、若干掛け離れた方法であったが、それでもタバサにとっては十分望み通りの働きをしてくれるだろう。 差し当たっての問題は、どのように頼むかだ。 生半可な言葉は恐らく通用しない。 いや、それよりも、自身を殺そうとした者の頼みなど果たして聞いてくれるのだろうか。 「何を考えているかは知らないけど、早くしてくれる。 朝っぱらから出掛けてた所為で、眠たいんだけど?」 見せ付けるかのように欠伸をするルイズを見て、決意を固める。 真っ向から正攻法で頼む以外、自分には道など無い。 キュルケに仲介を頼むと言う手段もあったが、このような事に彼女を巻き込みたくは無かった。 「貴方の使い魔に壊れる前の状態に戻して欲しい、人が居る」 「・・・・・・私は医者じゃないし、こいつも当然違うわ」 「彼の事は?」 「ギーシュの時は、才能を返すついでよ」 本当は、ギーシュとモンモラシーに同情していたキュルケの悲しそうな横顔を嫌って、壊れる前の状態に戻したのだが、そんな事をタバサに知られるのに抵抗があったルイズは、出任せを述べた。 「嘘」 ささやかな過ぎる程度の虚偽であったが、タバサは、その虚偽を見抜いていた。 「嘘じゃないわ」 幾分ムキになったかのように反論するルイズに、タバサは口を開こうとするが、止める。 先程と同じように、また脱線してしまっている。 元の道筋に修正しなければ。 「貴方が医者でも無ければ、私を恨んでいる事も知っている。 だけど・・・・・・私は・・・・・・・・・・・・」 そこで一旦言葉を区切り、次に紡ぐべき言の葉を探すように中空へと視線を漂わす。 その間、ルイズもホワイトスネイクも、決して言葉を挟まず、タバサの口から紡がれる音を待っていた。 やがて、虚空へと向けられていた視線が、ゆっくりとルイズへと向けられた時、タバサは続きを口にする。 「例え、それがどんな苦難がある事だろうと、私が出来る事ならなんでもする。 だから、お願い・・・・・・・・・・・・私の頼みを、聞いて欲しい」 言葉一つ一つに想いを込めた懇願。 その重さは、計り知れない程に重く、懇願されているはず立場だと言うのに、ルイズは息苦しさを感じてしまう。 「なんで、あんたがそこまで必死なのかは知らないわ」 息苦しさを紛らわす為に、ルイズは口を開く。 「人に言えない事情とやらがあるんだろうけど、私にそれを聞く気は無いわ。 そりゃ、気にはなるけど、あんたは話したくないから故意に伏せてるんでしょうからね。 他人が話したく無い事を無理に聞き出すような野暮な真似、私はしないわ」 最も、自分に対しての事柄は、これには当て嵌まらないが。 「ともかく・・・・・・あんたが、そこまで必死に頼んでくるなら、私も考えないでも無いわ」 何も減るものでは無いし、頼みを聞くのは構わなかったが、ルイズは一旦、そこで言葉を止めて考える。 相手は、自分の事をあそこまで傷つけたメイジだ。 あの時、キュルケから才能を奪った事は間違いだと認めるが、 だからと言って、ボコボコにされたのを忘れろと言うのは無理な話である。 早い話が、ルイズはタバサに対して一泡吹かせてやりたいと思ったのだ。 「頼みを・・・・・・聞いてくれる?」 「まぁね、でも、条件があるわ」 そこで、ルイズは首に手を当て、考えた。 どのようにすれば、目の前の少女に付けられた傷の鬱憤を晴らせるのか。 才能を捧げさせる事が真っ先に頭に浮かんだが、忌々しい事に、この娘はキュルケと仲が良い。 (何か・・・・・・何か無いかしらね) キュルケの中で自分の株が落ちる事無く、尚且つ、相手に自分と同じぐらいの痛みを与える方法。 言わば、直接的でなく、少女が自発的に行う形の苦痛。 ホワイトスネイクの能力使用が頭に浮かぶが、万が一にも頭部からDISCが抜け落ちたりすれば、事が露見する危険性がある。 かと言って、他に思いつく方法も無いが。 (他人にバレても良いDISC? そんなものある訳無いじゃない) 露見しても、別段罪に問われないのは、相手に有益になるモノだけだ。 ホワイトスネイクのDISCにそんなものなどあるはずが―――――― 「あっ」 思わず漏れてしまった単音に、ルイズは思わず手で口を塞ぐ。 それは、咄嗟に浮かべてしまった、あまりにも邪悪な笑みをきっちりと隠していた。 「これを・・・・・・あんたが使いこなせるようになったら、あんたの頼みを聞いてあげる」 その言葉と共に、ルイズはタバサへ一枚のDISCを投げる。 「これは・・・・・・」 投げられたDISCの表面には、右半身が砕けた人型が映っている為、ギーシュの頭から落ちたDISCとは、何かが違うと言うのは、タバサにも理解できた。 (ルイズ) (何よ?) 厳しい面持ちでDISCを見つめているタバサを横目に、ホワイトスネイクの幾分焦れたような声がルイズの頭に響く。 (何ヲ考エテ、アレヲ渡シタノカハ知ラナイガ、今スグニ考エ直シタ方ガ良イ。 アレハ、他者ニ渡シテ良イ程、生易シイ力デハ無イ) (それは使いこなせたらの話でしょ? 確かに、こいつは強いけど、アレを扱えるかって言うと、また別問題じゃない?) なんやかんや理屈を付けてはいるが、要するに、ルイズはタバサが無様に吹っ飛ぶ姿が見たいのだ。 あの時、自分が、あのDISCを挿し込み吹っ飛んだように。 「それに入ってるのは、簡単に言うと使い魔みたいな存在よ。 スタンドとか言う種族だけど、扱えれば並の魔獣、幻獣なんかより、よっぽど強力って言うね」 ルイズの何処か楽しげな説明に耳を傾けつつ、タバサは、これが果たして安全かどうかを思慮していた。 確かに、ギーシュの頭から落ちた物とは違うのは見て分かるが、それでも得体の知れない物である事に変わりは無い。 最悪、相手がこちらを謀殺しようとしている可能性もある。 タバサは、ちらりと、自分の後ろで夜空を見上げている使い魔にアイコンタクトをする。 ギーシュの時は、頭部に強い衝撃を与えたら、原因と思しき円形の物体が出てきた。 ならば、もし、自分が死ぬような暗示が、この円形の物体に入っていたとしても、シルフィードに尻尾で自分の頭を殴らせれば良い。 多分、凄く痛いだろうけど。 すぅ、と息を吸い込み、タバサは覚悟を決めた。 「はぐぅ―――ッ!」 頭部が裂け、その間に形ある物挿し込まれていると言うのに、痛みは不思議と無かった。 だが、それでも、得体の知れない奇妙な物体を自分の頭に入れていると言う事実が、タバサの口から声を漏れさせた。 そのあまりに嗜虐心を刺激する声に、ルイズは思わず生唾を飲み込む。 「――――――ンッ」 艶かしさとは、また違った色気を纏ったタバサだったが、頭部に完全にDISCが挿入されると、様子が一変した。 パクパクと酸素を求める金魚のように口を開閉しながら、両手で胸の辺りを押さえ始めたのだ。 「きゅい~」 尋常で無い様子に、彼女の使い魔の風竜は心配そうな声で鳴くが、タバサは喘ぎながらも風竜に大丈夫と告げる。 (ちょっと!!) タバサのそんな様子に、ルイズは不満たっぷりの声をホワイトスネイクに掛ける。 (どういうことよ!! なんであいつは苦しそうな顔してるだけで吹っ飛ばないのよ!! おかしいじゃない!!) 予想とは違った光景に文句を吐くルイズであったが、ホワイトスネイクは言葉を返す事は無く、油断の無い目つきで、タバサを見据えている。 相変わらず、タバサは何かを耐えるように両手で胸を押さえ込んでいた。 「ちょっと返事ぐらいしなさいよ!!」 何時までもホワイトスネイクから返答が来ない事に、腹を立てたルイズが、思わず怒声を上げてしまうが、それはこの状況において取ってはいけない行動の一つだった。 「ダメッ!!」 タバサの悲痛な叫びに、ルイズは何がダメなのよ! と叫び返そうとしたが、口が動かない。 (なっ!!) いや、口だけでは無い。 喉も、瞼も、指も、足も、何もかもが動かない。 (何よ、これ!?) 自分だけでは無い。ホワイトスネイクも、あの風竜も、草も、雲も何もかもが『静止』している。 静寂と停止を約束された世界。 その中で動くのは、今にも泣きそうなぐらいに苦しげな表情をしているタバサと、何時の間にか彼女の横に立っていた、黄金色に輝く右半身が欠けた人型のみだった。 (あいつ・・・・・・ホワイトスネイクと同じ感じがする・・・・・・) 身体が動かないと言う危機的な状況であると言うのに、ルイズはそんな事をぼんやりと思っていた。 だが、次の瞬間に身を固くする。 人型が、ゆっくりとルイズへと向かって動き始めたのだ。 ゆらりゆらりと、人型が動く中、ルイズは喉一つ動かせず、唾液を嚥下することすら出来ない。 (やばいわね・・・・・・このままだと) さっき、ホワイトスネイクに言われた言葉が、今になってようやく分かった。 なるほど、確かにこれは他者に渡していいような力では無い。 他者を動けなくする能力とでも言うのか。 あらゆる者を停止させ、その中を自分だけが動ける。 (圧倒的じゃない) ホワイトスネイクが最強と呼んでいたのも納得する。 戦う者として、これほどまでに圧倒的な能力は存在しない。 「―――ダメッ!」 タバサが呟いた言葉に、思考に集中していたルイズは、黄金色の人影が自分の目の前にまで到達し、尚且つ、隻腕を振り上げている事に気がついた。 (マズいマズいマズいマズいマズいマズい!!!!) 能力の考察などしている暇では無い。 今すぐにこの力から逃れ無くてはならない。 でなければ、自分はあの隻手で土手っ腹に風穴を開けられてしまうと言う、考えるのもおぞましい結末になってしまう。 必死に拳から逃れようと、身を捩ろうとするが依然として静止空間は続いている。 (動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動きなさい!!) 必死の祈りが通じたのか、拳が腹部を貫く寸前に空気が、風が、そして身体が動き始める。 「動けェええぇぇぇぇぇぇえええええぇぇぇ!!」 喉も動くようになり、ルイズの口からは思考とまったく同じ形の意味が声となり周囲に木霊する。 『無駄ァァァ!!』 しかし、その動きすら砕くと言わんばかりの拳圧が彼女の横っ腹に喰らいつく。 「―――ッ!!」 痛みに顔を顰めるルイズであったが、幸いにして脇腹の肉が多少削げた程度と軽傷であった。 ギリギリだった。 後、もうほんの少し、静止空間が続いたなら、かすり傷どころの話では無かっただろう。 安心するのも束の間、ルイズは無理な体勢になった為に倒れてしまった身体を起こす事も無く、即座に人型の砕けている右半身の方向へ転がる。 服が汚れるのも気にしない。命には代えられないからだ。 転がり、人型の背後へと回りこむと、ホワイトスネイクの手を借り一瞬で体勢を立て直し、杖へと手を伸ばすが、詠唱を開始したところで、ホワイトスネイクの腕が顔の前に出され、その動きを制止した。 (落チ着ケ。ソシテ、良ク見テミルトイイ) 頭に直接響いてくる声に、ルイズは杖に手を掛けたまま、自分の脇腹を掠め取っていった人型を見る。 『無駄アァァァァァ!!』 相変わらず人型は、奇妙な叫び声を上げつつ拳を振り上げ、渾身の力を持って殴りつけていた――――――壁を。 「はっ?」 察し難い人型の行動に、ルイズは思わず呆けたような一声を発してしまう。 いやいやいや、少し落ち着きなさい私。 ほら、息を吸って、吐いて、吸って、吐いて――――――さぁ、もう一度。 『無駄無駄無駄無駄!!』 やっぱり壁を殴っている。 あんなに圧倒的な力を持っていながら、何故に壁を? 理解の範疇を超えまくってる光景に、ぽつーんと突っ立っていたルイズだったが、後ろから聞こえてきた、呻くような声に振り返る。 人型の後ろに回りこんだと言う事で、ルイズは人型とタバサの丁度中間点に居た。 と言う事は、つまり、後ろから聞こえてきた呻き声の持ち主は、蒼色の髪の少女でしか有り得ない。 「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・ハァハァ・・・・・・」 「ちょっと、大丈夫?」 先程から額に汗を浮かべ、呼吸を荒くしているタバサに、ルイズは不機嫌な声ながらも体調を気遣うような発言をする。 無論、ルイズにはタバサの体調を心配するような殊勝な心がけなど一切無く、所謂、社交辞令のようなものだ。 本音を言うと、そのまま、くたばってしまえば良いのにとか考えていたが、それはそれで面倒な事になる。 そんな事をルイズが考えている中で、一際大きな音が、人型が殴っている壁から聞こえてきた。 どうやら、断続的な拳打に耐えられず、とうとう壁が崩壊したらしい。 「あ~、もう! どうしてこうなるのよ!!」 下手をしたら、また謹慎期間が延びてしまうであろう事態に、ルイズは心底苛立った声を上げる。 本当なら、タバサが吹っ飛んだ姿を拝んだ後に、即座に自室のベッドで寝息を立てているはずが、どういう訳か、怪我も増え、おまけに大切な睡眠時間も刻一刻と減っていく。 ままならないとは、まさにこんな事を言うのだろうとルイズは思ったが、よくよく考えてみれば、自分が横しまな考えを抱かず、タバサにDISCを渡さなければこんな事態にはならなかったのだ。 つまり、今のルイズの状況は完全に自業自得であったりしたが、その考えにまで至った所で苛立ちは治まらない。 むしろ、膨れ上がるのがルイズの性格であった。 「とりあえず、あんたはさっさとあいつを消しなさい!」 顔色が青くなりだしたタバサに、一階の壁を破壊し尽くし、今度は一階の破壊の影響でヒビだらけの二階の壁を殴り始めた人型を消すように声を掛けるが、タバサからの返事はゼィゼィと喘息患者がするような呼吸音だけだ。 「ルイズ・・・・・・ドウヤラ彼女ハ、ソレ所デハ無イヨウダガ」 「そんな事は分かってるわよ」 あっけらかんとしたルイズの態度に、ホワイトスネイクは肩を竦める。 「何モ、消スヨウニ命ジナクトモ、私ガ、マタDISCニ戻セバ良イダロウニ」 呆れたように呟くホワイトスネイクの言葉に、ルイズは一瞬硬直した。一瞬だけ 「そんなことが出来るならもっと早くやりなさいよ!!」 次の瞬間には、顔を真っ赤にして自分の使い魔へと怒鳴りつけていた。 怒鳴りつけられたホワイトスネイクは、タバサの頭からスタンドDISCを、即座に引き抜く。 その一動作で、今まで破壊の限りを尽くしてきた右半身の砕けた人型は、何の余韻も残さずにキレイさっぱりこの世界から消失した。 大規模な破壊の爪痕を残したまま。 「どーすんのよ、これ」 途方に暮れて呟くルイズであったが、どうにもこうにもなるはずが無い。 一階は言わずもがな、見ると、五階にある宝物庫の壁にまで見事にヒビが入っている。 「きゅいきゅい」 ぐったりとしているタバサを器用に自分の背に乗せた風竜が、これまた器用にルイズの肩を翼でぽんぽんと叩く。 恐らく慰めているつもりなのだろうが、今のルイズにとっては煩わしい事、この上ない。 「止めなさい」 「きゅいきゅい」 「止めなさいってば」 「きゅ? きゅきゅきゅい!!」 「だから、止めなさいってば!!」 しつこい慰めに、怒声で返答したルイズだったが、すぐにその身体はホワイトスネイクによって竜の背に吹っ飛ばされる。 「なっ!?」 主に手を上げた!? と頭に血が一瞬で上ったが、目の前に飛び込んできた光景に、ルイズは、ただ口をあんぐりと開けるしかなかった。 土の塊が、音も無く蠢き、全長30メイルにもなるゴーレムが誕生しようとしている光景が、そこには存在していた。 フーケは、舞い降りた幸運に小躍りでもしたい気分だった。 宝物庫の弱点である物理的衝撃について考えあぐねていたフーケの前に現れた二人の少女。 どちらにも見覚えのあったフーケは咄嗟に身を隠し、その場を観察していたが、 やがて、一人の少女が苦しみ始めると、突然現れた亜人が学院の壁をどんどん壊し始めたのだ。 その衝撃的な光景に、思わず呆けてしまったが、その亜人がどんどん壁を壊していくのを見るにつれて、フーケは思いがけない幸運が舞い込んだ事に気がついた。 どういう訳か、特別に頑丈に作られ『固定化』の魔法まで掛かっている学院の壁を、隻手隻脚の亜人は、いとも簡単に壊している。 その破壊は、放射状にヒビを発生させ、そのヒビ割れが宝物庫まで届くと同時に、もう一人の少女の使い魔が、苦しみ始めた少女に何事かをすると、壁を破壊していた亜人は、一瞬にして消えてしまった。 「なんだか知らないけど、これはチャンスなのかねぇ」 自分のゴーレムでは無傷の壁を破壊するのは不可能だが、ヒビの入った壁となれば話は違う。 ニヤリと歪められた口から詠唱が紡がれる。 それは、魔力と土を媒介とし、彼女の目的を果たす為の存在を作り上げるのであった。 「何なのよ、もう!!」 空へと舞い上がったシルフィードの背中で、ルイズは思い通りにいかない事態に、金切り声を上げていた。 彼女の眼下では、ヒビが入り脆くなった壁に、ゴーレムがトドメを刺している。 「宝物庫」 顔色は優れなかったが、なんとか意識を保っているタバサが、ゴーレムにより壊された壁の中に入り込む人影を見て、そう呟いた。 「宝物庫って・・・・・・それじゃあ、あいつ!?」 そういえば、モット伯の『記憶』DISCに、この頃、貴族相手に盗みを繰り返している土のメイジが居る事が記されていた。 確か名前は・・・・・・ 「『土クレ』ノ、フーケ・・・・・・ダッタナ」 シルフィードの前足に掴まっているホワイトスネイクが、その名を口にする。 『土くれ』のフーケ 貴族の屋敷の壁や金庫などを、錬金の魔法より、まさに『土くれ』に変えて盗みを働くと言う強力な土系統のメイジ。 また、錬金が効かない場合などは、攻城戦でも出来そうな巨大なゴーレムを従え、貴族や衛兵などを蹴散らし、目的の物を奪っていく。 まさに怪盗と呼ぶに相応しい人物なのであった。 眼下に居るゴーレムは、サイズから見ても、まず間違いなくフーケが作ったものであろう。 となると、次なるフーケの目的は、このトリステイン魔法学院の宝物庫の何かと言う事になる。 「この私の目の前で、盗みを働こうなんて随分生意気じゃない!!」 喜々とした表情でルイズが杖を振るうと、杖の回りの空気から水分だけが抽出され、巨大な水泡が生成される。 その水泡は、ふわふわとゴーレムの上空に漂っていき、一気に弾けた。 「よし!」 ゴーレムに確り水が被った事を確認して、ルイズは右手の杖を今度は、先程より激しく振るう。 乗り慣れたシルフィードの背で、どうにか気分が落ち着いてきたタバサは、今、ルイズが何をしようとしているのか、見当がついていた。 どうやら彼女は、土で作られたゴーレムに水をたっぷり染み込ませ、その水を操る事でゴーレムの操作系統を奪おうしているらしい。 最初は、あまりにも常識を逸脱した魔法の運用に、タバサは呆れたが、ゴーレムの動きが見る見ると鈍くなっていくのを目の当たりにすると、その呆れが間違ったものであると認めざろうえない。 「くっ―――」 ならば、自分も手伝う為に水をゴーレムに掛けようと杖を手にしたが、呪文を紡ごうにも、力が入らない。 原因は分かっている。先程のDISCの所為だ。 自分でも良く分からなかったが、あの半身の欠けた人型が現れている最中、自分の精神力や体力など、とにかく生きるのに必要なモノが、どんどん自分の身体から、人型に流れていったのが、感覚的に理解できた。 特に、あの静止した空間の消耗は半端では無かった。 正直な話、もし、あの空間が、ほんのちょっぴりでも続いていたら、自分は衰弱死していただろうとタバサは思っている。 一秒にも満たない程度の僅かな『静止』であったが、それだけでもタバサの身体に、信じられないぐらいの負担を掛けていたのだ。 「あんたは休んでなさい」 タバサの詠唱の気配を察知したのか、ルイズが下のゴーレムを見据えたままで、そう告げる。 確かに、今のタバサは呪文一つ、まとも唱えられないだろうが、だからと言って、目の前で行われる不正を見逃せるかと、問われればタバサは首を横に振るだろう。 「頑固なのね、あんた」 相変わらずタバサの方を見ないルイズであったが、言葉の韻に何処と無く今までに無い響きが混じっている。 が、次の瞬間には、全ての感情を一つの言葉にしてルイズは紡いでいた。 「ホワイトスネイク!!」 自らの使い魔の名を叫ぶその声にはどうしようも無い程の焦燥が込められており、それは―――――― 「仕留めた・・・・・・?」 シルフィードの眼下、ゴーレムの肩の上に戻ってきたフーケは、今、ゴーレムから放たれた岩石が風竜を絶命させたかどうかの疑問を口にしていた。 宝物庫から戻ってきてみたら、たっぷりと染み込んだ水によって動きを鈍くさせられていたゴーレムにフーケは歯噛みしたが、それが空を飛んでいる風竜の上に居る少女によって行われている事に気付くと、魔力をゴーレムの右腕に集中させ、壁の破片を対空砲火のように、風竜へと放り投げたのだ。 ただの岩石ならば、シルフィードも避けることも出来るのだが、フーケは投げる瞬間に、岩石を砕いていた。 その為、散弾銃のように拡散した石の雨に、シルフィードは晒され、無防備な腹にしこたま石の飛礫を喰らってしまったのだ。 「まぁ、こんなもんだろうね」 ゴーレムの動きが正常に戻った事を確認してから、フーケはそう呟き、さっさと学院から離れるように、指令を下すのであった。 「きゅぅ~~~」 「だあぁぁぁぁぁぁぁ!! 痛がってないで、さっさと翼を動かしなさいよ、コラァ!!」 頭部への石は、全てホワイトスネイクに弾かせたが、それ以外の箇所に石がモロに入ってしまったシルフィードは、痛みのあまりに翼をはためかす事を忘れ、その身を重力に引かれ、地面に激突20秒前である。 「シルフィード!!」 叱咤するタバサの声に、ようやく翼を動かし始めるシルフィードであったが、翼にも石は当たっており、どうしても力強く羽ばたく事が出来ない。 「きゅいきゅいー!!」 言葉で表すとしたら、ごめんなさいと言うのが適切であろう鳴き声を上げるシルフィードが地面と落ちる寸前、その身体が宙へと浮く。 ギリギリで、ルイズが『レビテーション』の呪文が唱え終わったのだ。 危機を脱した事に安堵するシルフィードであるが、ルイズとタバサは、ゴーレムが城壁を一跨ぎで乗り越えるのを、唇を噛み締めながら見つめるしかなかった。
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ルイズ達より遅れてラ・ロシェールに到着した三人は、ハーミットパープルを使って街の地図を念写し、ジョセフを媒介に主人であるルイズの居場所を探し出した。 今夜の宿はラ・ロシェールで一番上等な『女神の杵』亭だった。一階が酒場で二回が宿屋になっている、ハルケギニアではオーソドックスな作りの宿屋である。 街で一番上等であるということは貴族相手の商売をしているということと同義語であり、それに見合った豪華な作りをしていた。 テーブルからして床と同じ一枚岩を削り出したもので、顔が映り込むほどピカピカに磨き上げられおり、着席するだけでも相当な金額がかかると判る代物だった。 幾つもあるテーブルの中で一番入り口に近いテーブルには、ルイズとワルドとギーシュが数本のワインボトルと上等な食事の皿を並べて適当に食事を始めていた。 「おうすまんの、何とか腰は直したから後はどーでもなる。心配かけちまったの」 いけしゃあしゃあと言い切りつつ、ジョセフは遠慮なく空いた椅子に座り手ずからボトルを取り、ワインをグラスに注いでいく。 「一つ残念な知らせがある」 ナイフとフォークでローストチキンを切り分けながら、ワルドが困り顔を隠さずに言う。 「アルビオンに渡る船は明後日にならないと出ないそうだ」 「急ぎの任務なのに……」 ルイズは不機嫌を隠さずに眉根を寄せた。 疲労で食欲も減退している他の面々をさておいて、ジョセフとタバサは構わずワインで食事を流し込んでいく健啖家っぷりを披露する。 その中で聞いたことは、アルビオンがラ・ロシェールに近付く月の重なる夜、『スヴェル』の月夜が明後日の為、船を出すには明後日でないといけない、ということだった。 だがジョセフは(それならしょうがないよなァ。明日はゆっくり骨休みするか)と他人事のように気楽に考えていた。 程無くして皿から食事が(主にジョセフとタバサの)胃袋に移動しきった頃、ワルドが鍵束を机の上に置いた。 「それぞれ相部屋を取った。組み合わせはキュルケとタバサ、ジョセフとギーシュ」 機嫌よく食事を終えたジョセフの顔が、先程の食事で出てきたはしばみ草のサラダを食べた時の様な微妙な表情に変化した。ジョセフは次の言葉が読めたが、死んでもその言葉を口に出したくはなかった。 「僕とルイズは同室だ」 だが予想していた通りの言葉がワルドの口から聞こえた。 その言葉に、ルイズが驚きに見開いた目でワルドを見た。 「そんな、ダメよ! 幾ら婚約してるからって、まだ私達は結婚してるわけじゃないのよ!」 「そりゃそうじゃろ。主人と使い魔が同室のほうが角が立たんのじゃないのか?」 常識的で良識的な意見を二人からぶつけられるが、ワルドは首を振ってルイズを見た。 「大事な話があるんだ。二人きりで話したい」 「だからって同じ部屋で寝起きする必要がどこにあるっつーんじゃ。二人きりで話すのと一緒の部屋で寝るのには何の関係もないじゃろ。婚前交渉は貴族の文化と言うわけじゃないわな」 ジョセフにワルドの意見を聞き入れなければならない理由はない。むしろ疑念がほぼ確信に近い現状では積極的に何でも反対したいとすら思っているが、それをさておいても、(こいつはホント何言っとるんじゃ)というワルドの発言である。 「話する間は二人きりで話しゃいい。寝る時はルイズとわし、アンタとギーシュの組み合わせで泊まればいいだろう。な?」 と、ルイズに同意を求める。 「あ……うん、そうね。私も、その方が……」 余りの事で困惑していたルイズが、ジョセフの出した助け舟にあっさりと乗り込んだ。 ギーシュも憧れのグリフォン隊隊長と同室することに不満もない様子だし、キュルケとタバサも口を端挟もうともせずワインを味わっていた。 「……ではそうしよう。ルイズ、すまないが部屋に来てくれ」 多数決に敗れたワルドは、それ以上反論も出来ずジョセフの提案を呑まざるを得なかった。鍵束から一つの鍵を抜き取ると、ルイズに目配せをする。 「ええ、じゃあ」 二人で話をするだけ、ということならばルイズに反対する理由はない。ルイズはワルドの後ろに付いて歩いていく。二人が階段を上がっていくのを見届けると、ジョセフは大きく欠伸をした。 「かァーッ、一日中馬に乗りつめじゃったから眠くてしょうがないわいッ。ギーシュ、とっとと部屋に行くぞッ」 「ぁー、僕は後で行くよ。もうちょっと飲んでから行くから部屋番号だけ見ておく」 どうにもわざとらしい、とジョセフをよく知る三人は思った。ジョセフはルイズを目に入れても痛くないほど可愛がっているのは最早説明するまでもない。悪い虫が付いたのだからそれは機嫌が悪いだろうとはさほど考えなくても判る。それは判るのだが。 (いい年して子供っぽい)と少年少女達に思われてるのにも気付かず、ジョセフは鍵束から鍵を取って足音も荒く階段を上がっていく。 ジョセフの後姿を見送った三人は、とりあえずワインボトルをもう一本注文した。 部屋に入ったジョセフに、デルフリンガーが声を掛ける。 「くっくっく、おじいちゃんはご機嫌ナナメってーやつだぁな」 「うるさいわいッ」 「で? どうすんだい? 俺っちの相棒サマは色んな方法で二人の話を盗み聞き出来るよなァ。波紋使って壁に張り付いて窓から盗み聞きだって出来るし、ハーミットパープル使えば自分の身体を媒介に娘っ子の心を読んだりも出来るわーな?」 「やかましいわいッ!」 デルフリンガーの言葉に、ジョセフは力を込めて剣を鞘に収めると乱暴に投げ捨てた。 やろうと思えばデルフリンガーの言った通りの方法で幾らでも盗み聞きは出来る。だがそんな情けない真似をジョセフ・ジョースターがやれると言うのか。例え相手が信用ならないどころか疑わしさ丸出しな男だとしても、それとこれとは話が違う。 それなりに上等なベッドに寝転がり、久方ぶりの柔らかい寝床にやや慣れないと感じてしまった感覚に苦笑することもなく、ただ不機嫌な顔を隠さず横になっているだけだった。 ワルドとの二人きりの話を終えたルイズは何となく一人になりたくなり、宿の中庭で所在無さげに壁に凭れ掛かって月を見上げていた。 今回の任務のこと。ジョセフが伝説の使い魔『ガンダールヴ』だということ。ガンダールヴを召喚した自分は偉大なメイジになれると断言されたこと。 ――ワルドからのプロポーズ。 一昨日には考える由もなかった事柄達がルイズの胸を締め付けてきた。 アンリエッタの友人であるルイズは、肌身離さず持っている密書の最後に何かを書き加えた時の彼女の表情がどんな類のものなのかは、判りすぎるほどに判る。しかもその相手は戦争の只中にいる。 ジョセフが始祖ブリミルの用いた伝説の使い魔『ガンダールヴ』だという話をワルドから聞かされたのもそうだ。そんな伝説の使い魔がどうしておちこぼれの自分に召喚出来たと言うのだろう。 そもそもガンダールヴでないとしても、ジョセフが自分の使い魔だという時点で満足している節がルイズにはあった。ちょっと調子に乗りやすいしスケベだけれど、嫌いだとは思っていない。むしろ好感を抱いていると言って差し支えない。 そんなジョセフを使い魔にしたまま、果たして自分はワルドのプロポーズを受け入れることが出来るのだろうか――と考えて、それは出来ない、と思うしかなかった。 ジョセフは孫までいる妻帯者で、自分より50歳も年上の老人だということは重々承知している。周りは囃し立てるが、主従揃って『それはない』と声を合わせたものだ。 でも、ジョセフを側に置いたまま、ワルドと共に始祖ブリミルに永遠の愛は誓えない。恋慕や愛ではないはずなのに、どうして憧れの人だったワルドの求婚を受け入れることが出来ないのか。そこに至る計算式が判らないのに、答えだけが最初から記されていたようなものだ。 もしジョセフに暇を出せば、彼はどこでも上手にやっていくだろう。平民として召喚された異世界の学院でも、とんでもない適応力で居場所を築けたジョセフだ。下町だろうと、王城だろうと、どこでも、誰とでも、上手くやっていけるだろう。 そんなのやだ、とルイズは思った。自分の知らない場所で自分の知らない誰かと仲良く楽しく暮らしているジョセフを考えると、何かもやもやした感情がルイズの中を満たしてしまう。 でも、とルイズは思った。もしかしなくても、ジョセフはこんなおちこぼれメイジの使い魔なんかやっているよりも、もっと別の事をやらせた方がいいのかもしれない。でも、『それはやだ』と、心が叫ぶ。 ワルドは10年前のように、あの頃のように、優しくて凛々しくて。憧れの人なのに。そんなワルドに結婚してくれと言われて、嬉しくないはずがないのに。……でも。 中庭で思い浮かべたのはワルドよりもジョセフの方が時間が長い、ということに、まだルイズは気付いていなかった。 To Be Contined → 29 戻る
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ジョセフを追い出してから、太陽がまた同じ位置にやってきた頃。ルイズはあれから部屋に閉じこもったまま、泣きじゃくるか泣き疲れて寝るかの繰り返しを続けていた。 睡眠の時間こそは普段より多いくらいだが、眠り自体が浅く断続的に寝たり起きたりを繰り返す睡眠が良質なものであるはずもなく、ルイズは目覚めていても薄ぼんやりとした靄が頭に掛かったままになっていた。 そんなろくすっぽ機能しない頭でも、丸一日考える時間があれば、なんとつまらないことで使い魔を追い出してしまったのだろうという後悔に至るのは容易いことだった。 客観的に見れば、自分がいない間に、部屋でメイドと一緒に食事してただけである。 別にベッドの上でいかがわしいことをしてたわけでもなく、メイドにパイを食べさせたフォークで自分もパイを食べただけでしかない。 だがそれがどうしても許せない。理由は判らないが、どうしても許せないのだ。 怒ったりする事ではないというのはとっくの昔に理解している。ジョセフをクビにして追い出してしまったのは明らかな失策だなんて、言われなくても判っている。 けれども、言葉に出来ない感情は正論なんか吹き飛ばす荒々しさをまだ失っていない。 悲しいのか悔しいのか、それとも憎いのか。その全部のようで、その全部ではない。 ベッドに倒れ伏したまま、自分の中の渦巻く感情の正体を探ろうとする。何度も試みて、何度も答えの見つからない問い掛けをしようとしたその時、ドアがノックされた。 ジョセフが帰ってきたのだろうか。 鏡は見ていないが、泣き続けた自分の顔なんか例え使い魔と言えども見せられたものではない。もう一度ノックが聞こえる前に、ルイズは頭を隠すように毛布に潜り込んだ。 それから間もなく、部屋の主の許可もないうちにドアが開いた。 ルイズは毛布の隙間から視線だけをちらりと入り口にやる。 ドアを開けて入ってきたのは、キュルケだった。燃え盛る火のような赤毛を揺らし、褐色の肌を制服へ窮屈に詰め込んでベッドへと歩み寄ってくる。 「……誰が入っていいって言ったのよ」 「入っていいなんて言うつもりなかったくせに、何言ってんだか」 そう言い放つと毛布に包まったままのルイズの横に座った。 「あんた達が昨日の夜から王子様の部屋に来ないから、余った食事はシルフィードのエサになってるのよ。で、どうするの。ディナーは二人分の食事をキャンセルしていいのね?」 ジョセフの姿が昨日から見えず、真面目なルイズが授業を休んでいるとなれば、何かしら二人の間に起こったという答えに辿り着くのは、容易なことだった。 だがこの時点で何故ジョセフが不在なのか、という理由を言い当てることまでは出来ない。 と言う訳で、ルイズの部屋を一番訪問しやすい立場にあるキュルケがやってきたというわけだった。 「まあ、詳しい事は判らないけれど。なんでダーリンがいないのかしら?」 問いかける声の余韻が消えてしばらくしてから、もぞり、と毛布が動いた。 「……ジョセフが……」 「ダーリンが?」 「……メイドと、部屋でごはん食べてた」 「ふんふん、それで? お腹も膨れたところでメイドをベッドに連れ込んでたの?」 「……違うもん」 「じゃあ何よ。まさかメイドと一緒に食事してただけで追い出したの?」 「……違うもん」 「……じゃあ、キスくらいしてたとか?」 「……違うもん」 もどかしい謎当てをさせられることになったキュルケは、豊かな赤毛をかいた。 その場面を目撃したルイズが怒ってジョセフを追い出しそうなシチュエーションを幾つか想像してみる。 一緒に食事するより重くて、キスするよりは軽い場面…… 「……ええと。ダーリンがメイドにあーんしてたところを見ちゃった?」 「…………」 返事がないということは、正解だと理解する。そして導き出された正解のあんまりにもあんまりな下らなさに、キュルケは思わず深々と溜息を吐いた。 「……あのねルイズ。そのくらいで使い魔追い出してたら何十回使い魔召喚しても追いつかないわよ」 「……それだけじゃないもん。あーんしたフォークで自分もパイ食べたんだもん」 間接キスも追加された。だからどうしたと言うのだ。 「なるほど。話を総合すると、自分の部屋でメイドなんかと二人きりで食事して、あーんまでして、しかも間接キスまでしたのが許せなくて思わずダーリンを追い出した、と」 再び無言を貫くルイズを見下ろし、キュルケは大きな呆れの気持ちの中に少しばかり安堵の気持ちを混ぜこぜていた。 ヴェストリ広場の決闘があってから、キュルケの照準ド真ん中にジョセフは収まっている。 最初のうちはヴァリエールの恋人を寝取るツェルプストーの伝統に従った、軽いお遊びのようなものだった。 それがフーケ追跡やワルド戦、アルビオン国王と三百人のメイジを騙してのニューカッスル城の爆破解体と岬落としを目撃した今となっては、本気でジョセフをツェルプストーに引き込もうと考えていた。 どんな人生を歩んできたかは知らないが、どうやらジョセフの中に蓄積された知識と知恵は並大抵のものではないということは嫌と言うほど思い知った。もしあの知識を然るべき場所で使えるなら、ツェルプストー家が大きく隆盛するに違いない。 未だに平民の地位も低く、メイジにあらずんば人にあらずという風潮が色濃いトリステインでこれだけの能力を死蔵させるより、平民でも実力と財力があれば貴族となれるゲルマニアに来ればすぐにでもジョセフは貴族になれるだろうと思っている。 ツェルプストーにジョセフを引き込む為に必要ならば、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーをジョセフの花嫁にしてもいいとすら考えていた。 しかしキュルケ本人の覚悟がそこまで固まっていても、その覚悟を表に出すには幾つかの障害が余りにも大きすぎるということも彼女は理解していた。 一つは、ジョセフが煮ても焼いても食えないジジイだということである。 ゼロのルイズが召喚した平民の老人という状況から、決闘騒ぎという踏み台はあったものの、口八丁手八丁で学院中の人間の心を貴族平民問わず我が物にしてしまえる手腕。 お調子者のように見えるが、よくよく観察していると下手に深みに嵌らない様に周囲との距離を上手に調節しつつも、周囲にはそれを悟らせない人間関係構築の巧みさ。 今ではクラスメートの大半はジョセフの友人になっているし、平民の使用人に至ってはジョセフを嫌う人間なんかいないのではないかという領域に至っている。 下手に手を出すと逆に丸め込まれたりしかねないので、いかに攻めるかをしっかりと考えなければならない。胸元見せたり足を組んだりするだけでホイホイついてくる同級生とは比べ物にならない強敵だという認識はある。 (胸元見せたら鼻の下伸ばすけれど) オールドオスマンもそうだが、男と言うのはいくつになってもスケベだから困る。 ジョセフ本人は故郷に妻もいるし孫もいると言っていたが、キュルケは直感的に「押したら何とかなりそう。バレなきゃセーフだと考えてるタイプ」と判断している。 次にルイズとジョセフが『バカ主従』だということ。 ジョセフはルイズをそれはもう猫可愛がりしている。アルビオン行では事あるごとに可愛がりっぷりを披露されて胸焼けがしたくらいだ。 しかもルイズもそれを嫌がるどころか悪く思っていないのは誰が見ても明らか。口では「そんなの関係ないんだから!」と言っておきながら、嬉しそうに緩む顔をなんとか隠そうとする努力には頭が下がる。 (そんなのどうせ周りにばれてるんだから諦めればいいのに) 何度もその言葉が口をつきそうになったが、言ったところで顔を真っ赤にして頑張って否定するだけなのは目に見えてるので言わないことにしている。 それなのにいざジョセフが他の女と仲良くするとこうやって怒り出す。 フリッグの舞踏会の夜にフレイムと話していた予想がこれ以上ないくらいに大当たりしていた。これが自分の部屋に連れ込んだりしていたら①どころか②か③の二択になっていたところだった。それもこの様子なら、かなりいい確率で②になりかねない。 事を急いて下手に手を出してなくてよかった、というのが安堵の気持ちであった。 ――そして最後の一つ。 キュルケは溜息を吐き出して、毛布から出てこないルイズを一瞥し、足を組み直した。 「このキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは……」 昔、劇場で見た歌劇の主人公が言っていたセリフを思い出しつつ、独り言を始める。 「いわゆる好色のレッテルを貼られているわ」 ルイズから視線を外し、何もない空間に視線をやりながら言葉を続けていく。 「つまらないやっかみでケンカ売って来た相手を必要以上にブチのめしちゃって病院から未だに出てこないのもいる。伝統と慎みを語るだけで恋人を繋ぎ止める努力もしないんで気合を入れてあげたレディはもう二度と学院に来てないわ。 私の興味を引けなくなった殿方にはすぐにさよならするなんてのはしょっちゅうよ」 そこまで言って、ルイズがくるまっている毛布が身動き一つしていないのを確認し。 息を一つ吸ってから、淡々と語っていた声色に少しずつ熱を篭らせていく。 「けれどこんな私にも、手を出してはいけない相手はわかるわ」 細く長い指を毛布にかけると、有無を言わさず毛布を引き剥いだ。ネグリジェ姿のルイズが窓から差し込む夕日の光に晒される。 「な、何をするのよツェルプストー!」 当然上がる抗議の声にも構わず、キュルケはやっと顔が見えたルイズに向かって一喝する。 「ただ泣いて世話してもらうだけの赤ん坊を可愛がっているお爺さんは寝取れないわ!」 予想もしなかった鋭い舌鋒に、ルイズは思わず次に上げようとしていた抗議を飲み込んでしまった。 これがキュルケの最後の理由だった。 恋人を寝取るのは特に問題ない。 本当に相手を大切に思い、相手に大切に思われているなら、たかが色仕掛け一つで靡くはずもないからだ。 ゲルマニア貴族からしてみれば、トリステイン貴族はでんとふんぞり返って相手からの寵愛を求めるばかりで、自分からは何も与えようとしない高慢ちきな怠け者でしかない。 だからトリステイン貴族の雛形のようなヴァリエールは、ツェルプストーに恋人や婚約者だけではなく配偶者まで寝取られるんだ、とツェルプストー一族は考えている。 しかし、そんなツェルプストーの家風を色濃く受け継いでいるキュルケも、ジョセフへ本格的にアプローチしないのは、ジョセフはルイズの恋人ではなく、保護者でしかないと考えているからだった。 ツェルプストーの家に生まれた者が、いけすかない女から恋人を寝取ることはあっても、赤ん坊を可愛がっているおじいちゃんを寝取る訳には行かない。 保護者を取り上げられた赤ん坊がどうなるかなど、考えなくても判る。 「ましてやメイジにとってパートナーであるはずの使い魔を大切にしないで追い出した……あんたがやったのは、そういうことよ!」 矢継ぎ早に繰り出されるキュルケの言葉に、ルイズは唇を噛み締めることしか出来ない。 それから数拍ほど間を置いてから、キュルケは静かに立ち上がった。 「あんたが赤ちゃんのうちはダーリンには手を出さないであげるわ、ラ・ヴァリエール。でも良かったわね、その様子だとダーリンはずっとアナタのものだもの」 淡々と語られる言葉は、普段の情熱的な振る舞いのキュルケからは程遠いものだった。 だが、キュルケは怒りが高まれば高まるほど、声は落ち着きを強めていく。いかにも熱を持っていそうなオレンジの炎よりも、青く輝く炎の方が遥かに温度が高いのと同じように。 悠然とした足取りで部屋を去っていくキュルケの背をただ黙って見送るしか出来ないルイズは、静かに閉められたドアを悔しげに睨みつけ……そして、赤ん坊のように泣くことしかできなかった。 * それから二日間、ルイズの部屋の扉を潜ったのは食事を運んでくる使用人だけだった。 とは言え、食事も少しばかり手を付けるくらいで、ほとんど食べ残していた。 一人きりの部屋の中でルイズがやっていたことと言えば、そのほとんどが泣きじゃくるか眠ることだけ。 ジョセフが他の女と仲良くしていた事、つまらない事でジョセフを追い出してしまった事、にっくきツェルプストーから今までにない罵倒を受けてしまった事。 そのどれもがルイズを何度も叩きのめしていた。 涙が枯れるほど泣けば、当然喉が乾く。乾いた喉を潤す為に水を飲めば、喉を潤すのも程々に再び涙が滲み出てきて、またベッドに戻って泣き続けるという繰り返し。 あんまり泣き続けていると泣くのが癖になって泣き止められなくなるが、今のルイズは正にそれだった。 しかし泣き続ける中でも、ルイズの中には反省しようという思いが芽生えていた。 謝りたい。つまらない事で怒って、つまらない事をしてしまってごめんなさい、と。 けれど当の使い魔はもう三日も帰ってきていない。本当に自分に愛想を尽かして、他のどこかにいってしまったのではないかという嫌な想像がどんどん重く圧し掛かる。 感覚の共有も出来ないから、どこに行っているのかなんて少しも判らない。 考えても何も判らないし、考えれば考えるだけ悲しくなるので、考えてしまう時間を出来るだけ減らす為に眠くもないのにベッドに横たわって目を閉じ、ひたすら眠気が来るのを待ち構える。 しかもそのまどろみも、浅い眠りとキュルケからの批難が相まっているためか、ジョセフが他の誰かの使い魔になっているという悪夢じみた夢ばかり見てしまうものだから、どれだけ眠っても逆に疲れる有様だった。 ギーシュの使い魔になっていたこともある。ジョセフの主人になったギーシュは使い魔の平民に決闘を挑まれてボロ負けするというはなはだ不名誉な事態になったが、それからは友好関係を深めていたらしい。 毎日のようにギーシュと額を突き合わせてはよく判らないデザインのワルキューレを多く作り、つまらないことで二人とも盛り上がっていたようだった。 それにしてもモンモランシーがいつも二人を見てよだれを垂らしていたのはどうしてなのだろうか。 タバサの使い魔になっていたこともある。ジョセフを召喚したはずなのに、何をどうしたのかは知らないが当然の様にシルフィードもいた。 タバサは読書を続け、シルフィードはエサを食べ、ジョセフはふらふらとそこらをほっつき歩いていて……特に現実と変わりがないように見えた。 一番腹立たしかったのがキュルケの使い魔になっていた時だった。 ジョセフを召喚してから一週間後、キュルケはそそくさと魔法学院を中退して故郷に帰ってしまった。そんなキュルケを口さがない生徒達は好き勝手に中傷した……が、数年後に再会した時、ゲルマニアは女王の治世を迎えていた。 褐色の肌を持つ女王の横に、宰相の服を着てニヤニヤ笑っているジジイが立っているのを見た途端、ルイズはベッドから跳ね起きた。 他にも色んな知り合いの使い魔になっている夢を見続けたルイズは、たった二日で大分やられてしまっていた。 今日何度目の目覚めなのか数える気もないルイズは、カーテンを閉じたままの窓を見る。日の光が差し込んでこないところを見ると、夜になっているのは判るが今のルイズにはあまり関係ないことだった。 努力の甲斐あって眠りにつこうが、数時間ほどしか時間は進まないのが判っていても。ほんの一時の逃避を求めて、ルイズは今日何度目になるか判らないまどろみに落ちていく。 (……本当に私、赤ん坊だわ。自分じゃ、泣くか寝るしか出来ないんだもの……) くすん。と鼻をすすり上げながら、頭に浮かんだ思いは、やっと訪れた眠気に掻き消えた。 ――そして、次にルイズが目覚めた時。 重い瞼を開いて最初に見えたのは、まだ日の光も差し込まないベッドの上で、途切れないいびきをかいている使い魔の横顔だった。 ひ、と息を飲んで跳ね上がった心臓を抑えるように薄い胸に手を当て、何度か大きく深呼吸をする。 そぅ、と手を伸ばして頬をつついてみる。 「んぁ」 マヌケな声を漏らして首を揺らす仕草を見れば、ふわりと頬が緩み、安堵が広がった。 しかしその柔らかな気持ちも、すぐさま込み上げてきた言い様のない怒りに塗り替えられていく。怒りに任せて右手をぴんと伸ばし、親指を手の平にぎゅっと押し付け―― 「おふっ!」 脇腹に渾身のチョップを叩き込まれて無理矢理眠りから覚まされたジョセフが、恨めしそうに主人を見やった。 「……人が気持ちよく寝てるのに何すんじゃ」 「……ご主人様ほったらかしてどこに行ってたかと思ったら、なんでご主人様のベッドで勝手に寝てるのか。納得の行く説明をしてもらおうかしら」 そう言う間もルイズのチョップはひっきりなしにジョセフの脇腹にめり込み続けていた。 「おぅっ。ちょっと待て、説明してやるからチョップを止めてくれんか」 なおも手刀を放とうとしたルイズの手をつかんで攻撃を止めさせると、ジョセフは苦笑しながら身を起こした。 「いやな、ちょっと買い物に行ってきた」 「買い物って……お金はどうしたのよ」 「ちょいとトリスタニアで賞金稼ぎの真似事をな。あの辺りは仕事が結構ある」 枕元にあった帽子を被りつつベッドから降りると、テーブルの上に置いてあった紙袋を持って再びベッドに戻ってくる。 「ほらルイズ、お土産じゃ」 紙袋から取り出した何かが、ルイズの手の上に置かれた。 反射的に受け取ってしまったそれが何か確認しようとするルイズの頭からは、既に眠気は吹き飛んでいた。 「……帽子?」 どこからどう見ても何の変哲もない帽子。 具体的に言えば、ジョセフの頭の上に乗っている帽子と全く同じデザインの帽子だった。 「何を買って来ようか悩んだが、この前、わしの帽子かぶっとったじゃろ。じゃから、この帽子買った店で買ってきた」 ニューカッスルで帽子を無くしているので、今のジョセフが被っている帽子はトリスタニアの帽子屋で買ったものである。 「わしの新しい帽子をルイズに買ってもらったお返しって言ったらヘンな話じゃが、この前なんか知らんがルイズを怒らせたお詫びも込めて、ということでどうじゃ」 自分がいない間、主人がどうしていたかなんて少しも想像が出来ていない、暢気な物言い。 普段ならここでかんしゃくを起こして怒り出す流れだった。 しかしルイズは、受け取った帽子を黙って被る。 ルイズの頭のサイズより少しだけ大きい帽子は、主人より背の高い使い魔の視線からルイズの顔を隠す。 両手でつばを掴んで更に帽子へ頭を埋もれさせると、ルイズは何も言わずにジョセフの胸へ帽子越しに額を押し付けた。 普段の高慢ちきでけたたましい主人とは違うしおらしい態度に少しだけ目を丸くしたが、今回は減らず口を叩かず胸の前にいる主人の頭を優しく抱いた。 陽だまりの様な匂いがする腕の中に抱かれながら、ルイズはジョセフには判らないよう、ブリミルへ感謝の祈りを捧げるうち、知らずに眠りについていた。 この眠りは夢も見ない、深い安らかな眠りだった。 * 次の日の朝。 キュルケは今日も変わりなく身支度を済ませると、フレイムを従えて自室の扉を開ける。 「ほら何してんのよジョセフ! 早く行かないと朝食に間に合わないわよ!」 「そんなに慌てんでもまだ大丈夫じゃて!」 すると、少女と老人の騒がしいやり取りが聞こえてきた。 薄く化粧を乗せた顔が、優しく緩む。 「……ま、雨降って地固まるって言ったところかしら。大体予想通りの結果だわね、賭けるのもバカバカしいくらいのオッズだけど」 せっかくだから部屋から出てきたところをからかってやるとするか。 そう考えたキュルケは、緩く腕を組んで壁に凭れ掛かり、ルイズとジョセフが出てくるのを待ち構える。 サイレントの魔法も掛かっていない部屋からは何をしているのかは知らないが、どったんばったんと騒音が聞こえてくる。 「ほら、行くわよ!」 一方的に出発を宣告したと同時に、扉が開く。 そしてキュルケの視界に次に飛び込んできたのは―― ジョセフと同じデザインの帽子を被ったルイズだった。 あんまりにも予想を超えた大穴の出来事に、キュルケは完全に虚を突かれた。 「そんなトコで何してんのよ」 思わず呆然と突っ立ってしまっていたキュルケを、帽子の下から訝しげな目で見やるルイズ。百戦錬磨のキュルケにしても、ここまでとは全く考えが及ばなかった。 「……ええと。……その、帽子は?」 「ジョセフのお土産」 顔を赤くもせず、恥じらいもせず、ごまかしもせず、きっぱりと言い切った。 「ちょっとサイズが大きいけれど、そのうち慣れるわ」 扉の鍵を閉めると、ジョセフを引き連れて凛とした足取りで廊下を歩いていく。 そして階段に差し掛かったところで、まだ一歩も動いていなかったキュルケに視線を向けると、何でもないことのように言った。 「どうしたのキュルケ……朝食を取りに行くんでしょう?」 言葉の余韻が消えないうちに、ルイズは階段を下りていった。 ルイズとジョセフの姿が見えなくなって数秒してから、キュルケは無意識に息を呑んだ。 (まるで10年も修羅場をくぐりぬけて来たような……スゴ味と……冷静さを感じる目だわ……、たったの二日でこんなにも変わるものなの……!) つい二日前まで赤ん坊と変わりなかったルイズは既にいないことを、キュルケは悟った。 そしてジョセフを寝取ることがどうしようもなく難しくなったことも、悟る。 「ふ、ふふふ……」 しかし、艶やかな形よい唇から漏れたのは。 「ふふふふふ……そうよ……そうじゃなくっちゃあいけないわ、ルイズ。ツェルプストーの因縁の相手が泣いてるだけの赤ん坊じゃあ面白くもなんともないわ……」 これから待ち構える展開を待ち望んで笑う声だった。 「いいわ、ラ・ヴァリエール! アンタは赤ん坊でいる事ではなく自分の足で立つ貴族である事を選んだという訳ねッ!」 その時、キュルケが露にした歓喜の理由は、彼女自身にも理解できない。 しかし、確かに彼女の中に歓喜の炎を灯したのはルイズだった。 一頻り溢れ出した笑いが止まった頃、傍らで静かに佇んでいたフレイムの頭に手を伸ばし、優しく撫でつけた。 「さあフレイム、今日から忙しくなるわよ」 きゅる! と嬉しそうに鳴いたサラマンダーは、主人の後を付いて歩き出した。 To Be Contined → 戻る
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翌朝、犯行現場である宝物庫の前に呼び出されたルイズは、丁度、教師達が醜い罪の擦り付け合いをしている最中に辿り着いた。 やれ宿直やら、責任やら、衛兵やら、とりあえず自分の所に火の粉が掛からないよう必死過ぎるその姿に、吐き気を堪えるのに精一杯だった。 さっさと自室に戻って、フーケを追う準備でもしたい所だが、呼び出された手前、そういう訳にもいかない。 仕方なく、なるべく教師の会話に耳を傾けないようにしていると、蒼髪の少女の姿が目に留まった。 「あんたも呼び出されたんだ」 「目撃者」 隣に立ち止まったタバサの簡潔な言葉に、ルイズは特に何の感慨も抱かなかった。 普通なら、素っ気無い対応に腹でも立てるところなのだが、昨晩、共通の敵に対して共闘した事で、破滅的であった関係に僅かだが上方修正が加わった為、タバサの必要最低限しか話さない対応も、そういう個性であると捉える事が出来るようになったのである。 それに――― 「そうそう……とりあえず、コレはあんたに預けておくわ」 そう言って、ルイズは制服のポケットから、一枚のDISCを取り出した。 昨日と同じ、そのDISCを受け取ったタバサは、傍目からでも強張ったのが見て取れる。 ルイズは、タバサの表情に、ニタリと哂ったが、すぐにこの頃、板についてきたポーカーフェイスに戻り、タバサへ言葉を続ける。 「何も、すぐに使えるようになれとは言わないわ。 だけど、昨日のあの力……使えれば便利だと思わない?」 昨日、自室に戻った後、ルイズはDISCを自分の頭に差し込んでみたが、案の定、吹っ飛ばされた。 ホワイトスネイク曰く、DISCのスタンドを扱えるようになるには、適正が第一条件であり、第二条件が、スタンドを制御する為の精神力であると言う。 ルイズは、その二つ共が欠落している為、DISCから弾かれ、タバサは、二つの内の前者、適正がある為にDISCから弾かれずに済んだのだが、スタンドを制御する為の精神力が足りなく、暴走と言う結果になったらしい。 つまり、精神力だけを補えば、暴走をせず、使いこなせるスタンド使いになれる可能性が、タバサにはあるのだ。 無論、今の所はDISCから弾かれているルイズも、適正は無いが、適性を補う程の精神力があれば扱えない事も無い。 事実、感情の高ぶりによって爆発的に増大した精神力で、一瞬だが、ルイズはDISCのスタンドを、その支配下に置いていた。 だが、持続的にその精神力を発揮出来るかと言われれば、ルイズは顔を顰めるだろう。 人の精神は、無尽蔵であるが、無限では無い。 一度に引っ張り出せる力の量には限りがあり、今だ成長段階にあるルイズがDISCのスタンドを完璧に使いこなせるように精神力の限界を上げるとしたら、後3年程度は必要になるだろう。 ホワイトスネイクから、この考察を聞いた時、3年と言う年月にルイズは、げんなりしたが、ある意味、決心がついた。 適正は、精神力よりも必要性が高い位置にある。 要するに、適正がすでにあるタバサは、ルイズよりも遥かに短い年月でDISCのスタンドを我が物として扱う事が出来るようになるのだ。 適材適所。 今、使えないモノが自分の手元にあるよりは、すぐに使えるようになる者の手元に置いておいた方が、よほど建設的であろう。 ルイズは、そう考えて、タバサにDISCを預けたのだった。 タバサはルイズの言葉をどう受け取ったのか、DISCを自分のポケットに仕舞うと 「努力する」 ルイズの目を真っ直ぐに見つめて、そう呟く。 やる気に満ちた目に、ルイズは上機嫌で、フフンと口ずさんだ。 「では、捜索隊を編成する。我と思う者は、杖を掲げよ」 タバサとルイズがDISCについて話している中、教師達の会話は、何処をどう転んだのか、フーケを捕まえ、盗まれた『破壊の杖』と言う代物を取り返すまでに進んでいた。 勿論、ルイズは捜索隊に志願する為に杖を掲げる。 回りから、生徒では頼りないだとか、『ゼロ』に何がとか聞こえてきたが、あえて全てを無視する。 「君は生徒なんだ、ミス・ヴァリエール。危険な事は教師に任せなさい!」 「なら聞きますが、ミスタ・コルベール。 30メイルもあり、宝物庫の壁も叩き壊したゴーレムと戦う覚悟がある方が、この場に他におりますでしょうか?」 本気で身を案じているのか、苦しげな表情で言葉を掛けてきたコルベールに対して、ルイズは問答無用と言わんばかりに返答する。 ルイズの口から出た言葉に、他の教師達はお互いの顔を見合わせるばかりで、誰一人杖を掲げる者は居なかった。 フーケを討伐すれば確かに名は挙がるが、基本的に皆、命が惜しいのだ。 自分以外、誰一人杖を掲げない光景に、ルイズは不満げに鼻を鳴らした。 教師とは、生徒を正しく導き、そして危険から守る為の人材だ。 それが、例え自分から志願したとは言え、危険に晒されようとしている教え子と同行しようとする者が一人も居ないとはこの学園も長くは無いなと、ルイズは思ったが、口には出さなかった。 「しかしなぁ、ミス・ヴァリエール……流石に君一人と言う訳には……」 困ったように一人はマズいと告げるオスマンの言葉に、ルイズの隣の少女が、その杖を掲げた。 「ミス・タバサ!! 君もなのか!?」 疲弊したかのようなコルベールの声に、タバサは掲げた杖を、無言でより高く掲げなおす。 「どういうつもり?」 「私にも責任の一旦がある」 タバサの言葉に、なるほどと呟いたルイズは、宝物庫に集まった教師を一度、じろりと見回した後に、 タバサを伴って、さっさとその場から立ち去ってしまった。 あわてて、フーケの居場所を知らせてくれたミス・ロングビルに道案内を頼んで、二人の後を追うように指示するオスマンだが、その顔は幾分、不安によって曇っていた。 「さぁ、どんどん食べてくださいね、サイトさん」 「お……おぉぉぉぉ!!」 朝の仕込みで忙しい厨房の片隅で、シエスタの朗らかな笑顔を見ながら、才人は目の前の豪勢な料理に叫び声を上げていた。 才人の様子に、厨房で働いている人々は本当に楽しそうに笑っている。 本来ならば、平民が貴族の屋敷に乗り込み、尚且つ、自分の意見を通すなど天地が逆さになってもありえないのだが、才人は、そのありえない事を仕出かし、シエスタを救い出してきたのだ。 噂好きのメイド達は、貴族に見初められた恋人を救い出した平民に狂喜乱舞し、料理人達は、才人の男らしい行動に、心の底から感心していた。 実際は、モット伯を再起不能に追い込んだのはルイズとホワイトスネイクであり、シエスタを救い出したのも、恋愛感情では無く、恩人の身を案じた為であるのだが、それは言わぬが花だろう。 ともあれ、厨房の面々が自分の為に、朝の仕込みの合間を縫って作ってくれた料理を食べる才人と甲斐甲斐しく給仕をしながら料理を頬張る才人を見ているシエスタは幸せオーラを振り撒いており、何人たりとも近づけない雰囲気を醸し出していた。 が―――――― 「―――ちょっと、探したわよ」 桃色のチェシャ猫は、その雰囲気を真っ向から打ち壊し、誰も近づけないはずの二人の至近距離まで近づいたのだった。 「ふぁっ! ふぁいづ!?」 ルイズと叫びたかったのだろうが、口の中に料理が詰め込まれている才人は、正しい発音が出来ず、あたふたと聞き苦しい言葉を発し続ける。 「食べてる最中は喋らないでよ、汚いわね」 そんな才人を、ルイズは嗜めると、当然と言わんばかりに才人の為に用意された料理の席に座る。 座席は才人の分しか用意されてない為に、才人から席を奪ったのは言うまでも無い。 「平民の癖に随分と豪勢なものを食べてるのね」 嫌味でも何でも無くただなんとなく口に出した言葉に、厨房の働き手達は一様に顔を顰めたが、ルイズはその事を特に気にした様子は無かった。 「何か御用なんですか?」 今だに口の中に物がある才人に変わって問い掛けたシエスタの言葉に、ローストビーフをフォークで突き刺しながら、ルイズは用件を告げる。 「サイト、今すぐに正門に来なさい。私の護衛としての初仕事よ」 簡潔にそう述べると、それだけで説明は終わりと、ルイズはローストビーフを口に運ぶ。肉厚のあるビーフは、咀嚼する度に肉汁と旨みを口内に広がらせ、一度食べれば病みつきになる事、間違いなしなまでに料理として完成度が高かった。 ルイズの傲慢とも取れる態度に、才人は溜め息を吐いてから、食べかけていた料理を一摘みする。 「行儀が悪いから止めなさい」 いや、お前がそこに座っているからだろ、と才人は言いたかったが、シエスタを救って貰う時の借りがある訳だし、強く言う事は出来ない。 とりあえず、破天荒を地で行くルイズの行動に目尻を吊り上げているシエスタと調理場の人々に一言謝ると、才人は部屋に置いてあるデルフを取りに調理場を後にする。 哀愁漂うその背中を見ながら、ルイズは絶妙な味付けの料理に舌鼓を打っていた。 タバサは自室で、フーケ討伐の為の準備を整えていた。 準備と言っても、何時も彼女と共にある大きな杖と彼女のトレードマークである眼鏡を布で拭いているだけなのだが、そこにはある種の気迫に満ち溢れていた。 「きゅいきゅい!!」 窓の外で、タバサの使い魔である風竜が、珍しく傍目から見てもやる気に溢れているタバサに驚きの鳴き声を上げているが、それすら、今のタバサの耳には入ってこない。 拭き終わった眼鏡を掛け、ぴかぴかに光る杖を右手に持ったタバサは、『雪風』の名に相応しく、ひんやりとした闘気を身に纏い、力強く、一歩を踏み出した。 「あら? タバサじゃない、こんな時間にどうしたの?」 一歩目から波乱に満ちていた訳だが。 「それで付いて来た訳?」 「不覚」 ぽりぽりと頭を掻くルイズとタバサの視線の先には、 赤髪の少女が、黒髪の使用人の少年と何事かを話している光景があった。 タバサが自室から正門の馬車へと移動する時、偶然廊下を歩いていたキュルケと鉢合わせしてしまい、あれよあれよと言う間に付いてくると言う方向で話が纏まってしまった。 勿論、タバサは危険だと反対したのだが、逆にそんな危険な所に友達を送り出すだけなんて出来ないと言われると、 もうキュルケのペースで話が進んでいってしまう。 結局、キュルケの同行を断り続ける事が出来なかったタバサは、仕方なく一緒に馬車へ移動してきたのだ。 「キュルケが強引なのは、今に始まった事じゃないけど……今回は、ね」 ルイズの言葉に、タバサは頷く。 二人とも、掛け替えの無い親友であるキュルケが危険な目に遭うのが、心配なのだが、当の本人は二人の苦悩を知ってか知らずか、馬車の席の中で、一番座り心地が良さそうな場所にさっさと陣取っていた。 「おーい、そろそろ出発するぞー!」 手綱を握った黒髪の使用人の声に、ルイズとタバサは杖を握る手の力を無意識に強めながら、馬車に乗り込んだ。 「それにしても……泥棒退治なんかする気になったわねぇ」 道中の暇潰しか、キュルケがタバサとルイズに訊ねるように言葉を呟くが、二人とも、フーケと戦う時の戦術を話に夢中になっており、キュルケの言葉に返答しない。 本来なら、ここでカチンとくるはずのキュルケであったが、二人の真剣な表情に文句を飲み込む。 プライド高く、目の前で行われた犯行を止められなかった事に対して、それなりに責任と怒りを感じているルイズはともかくとして。 普段物静かなタバサですら、何時も手にしている本を手放し、熱心に議論を交わしているのだ。 止めるのは野暮と言うものだろう。 「二人とも、随分とやる気に満ちてるみたいですね、ミス・ロングビル」 「………………」 「ミス?」 キュルケの言葉に気付かず、ロングビルは、対フーケについて話し合うルイズとタバサを、鷹のように鋭い目付きで見詰めていた。 「どうかされたんですか、ミス?」 「―――いえ、なんでもありませんよ、ミス・ツェルプストー」 再度の言葉に、ようやく返答するロングビルだが、やはり視線は二人に固定され、キュルケの方へと振り向こうともしない。 そこに何か、薄ら寒い感覚を感じたキュルケだったが、結局、ロングビルに話しかけるのも止め、道の凸凹に上下する馬車の揺れに身を任した。 フーケが潜伏していると情報があった小屋は、深い森の中にあり、 森の入り口まで来た五人は、目立つ馬車から降り、徒歩でその場所に辿り着いた。 森の中の開けた場所の中心にある小屋を、ギリギリ視界に入れられる地点で立ち止まった五人は、ルイズとタバサが道中立てた作戦を聞かされる。 一先ず、偵察役兼制圧役を小屋に突入させ、それでフーケを捕まえられれば良し。 捕まえられなければ、待機メンバー全員で各々の最大の火力を、小屋を出てきたフーケにぶつけると言う、今ある戦力で出来る最大限の作戦であった。 突入役には、才人、ホワイトスネイクが担当し、 待機メンバーは、ルイズ、タバサ、キュルケ、ミス・ロングビルである。 「あの、ミス・ヴァリエール。貴方の使い魔が突入役に入っていますが……一体何処に?」 突入メンバーにホワイトスネイクの名があるのに、その場に居ない事を疑問に思ったロングビルがルイズに訊ねると、彼女は右手を上げてそれに答えた。 「私ナラバ、ココニ居ル」 ルイズの右手が合図だったのか、ホワイトスネイクがルイズのすぐ傍に具現すると、ロングビルは思わず一歩後ろに下がってしまう。 ホワイトスネイクに慣れていないキュルケも同様である。 「サイトとホワイトスネイクは合図があるまで、小屋のすぐ傍で待機して」 「合図はどうするんだよ?」 「私が直接ホワイトスネイクに出すから、あんたはあいつの指示に従って」 ルイズの言葉に、才人は、溜め息を吐きながら頷くと鞘からデルフを抜く。 「あ~、ひさびさに外出たよ。あのメイド、きっちり鞘に入れやがって、喋れやしねぇじゃねえか」 ぶつくさと文句を吐くデルフを、片手で軽くノックをして黙らせてから、才人は静かに小屋に近づいていく。無論、後ろからホワイトスネイクも続く。 「タバサ、例の物は準備出来てる?」 小屋の窓から死角になる位置に到着し、合図を待つ才人とホワイトスネイクを見ながらルイズが問うと、タバサは僅かに首を動かし、鬱蒼と茂る森の木々の間にある空を指差した。 その返答に満足げにルイズは頷くと、キュルケとロングビルに杖を構えるように促し、自らもまた杖を小屋の方へと向ける。 それぞれが詠唱を終えるのを確認し、ルイズはホワイトスネイクへ合図を送るように指示を出す。 命令を受けたホワイトスネイクは、三本立てて指を才人に見えるようにすると、それを一本ずつ減らしていく。 3 2 1 0! 指が全て畳まれると同時に、才人とホワイトスネイクは小屋の中へと突入する。 才人とホワイトスネイクは意外性により相手の動きを止める為、わざわざ壁にデルフで穴を開け、その中から進入した。 中に入った瞬間、小屋全体へ視線を巡らす才人とホワイトスネイクだが、小屋の中には人っ子一人居ない。 「もぬけの空って……やつか」 「ドウヤラ、ソノヨウダナ。隠レル場所モ在リハシナイ」 警戒を解く才人とホワイトスネイクは、ルイズ達へ中には誰も居ない事を報告し、そのまま小屋の中の探索に入る。 普通なら、罠なりなんなり有りそうなのだが、その気配はしない。 「『破壊の杖』ね、仰々しい名前だけど、どんな形か分からないからには探しようが……」 ぼやく才人を尻目に、足で床に置いてある木箱を蹴るホワイトスネイクは、木箱の奇妙な重さに気がついた。 木箱だけを踏み壊すと、木箱よりも一回り小さい長方形の飾りつけられた箱が出てきた。 蹴ってみると、ずしりと重い。 どうやら中に何か入っているらしかった。 「どう、様子は?」 小屋の扉の方向から聞こえてきた声に、才人とホワイトスネイクは探索の手を止めて、扉の方向を見る。 そこには、ルイズとタバサとキュルケの姿があったが、ミス・ロングビルの姿が見当たらなかった。 「一人足りなくねぇか?」 「ミス・ロングビルなら辺りの偵察って言ってたわよ」 歩くだけで埃が舞う小屋に、顔を顰めながらキュルケが答えると、 一人じゃあ危ないから俺も一緒に偵察してくる、と言って、才人が小屋の外へと出て行く。 ちなみに、一人では危ないと考えていたのも事実だが、本音を言うと埃っぽい小屋の中に居たくなかったのだが。 ともあれ、才人が小屋の外へと出て、一人少なくなった小屋の中で、タバサとルイズはホワイトスネイクの足元にある奇妙な箱に気がついた。 明らかに木とは違う材質で作られたその箱に、二人は覚えがあった。 事前に、ロングビルから伝えられた情報によると、確かあのような形の箱に『破壊の杖』が保管されているらしい。 まさかと思いつつ、二人が箱を開けてみると、なるほど、その中には無骨なデザインの細長い筒のようなモノが入っていた。 見ようによっては、確かに杖に見えない事も無い。 「もしかして……これが『破壊の杖』?」 呆けたように呟くキュルケの言葉にルイズとタバサは、じっと『破壊の杖』と思わしき物体を見詰めていた。 もし、仮にこれが『破壊の杖』だとして、どうしてフーケはこんな場所に置いたままにしているのか。 まさか、ここに荷物を置いておいて、自分は何処かで朝食でも食べているとでも? どういう事なのか、ルイズとタバサがお互いの推測を述べようとした時、天を揺るがさんばかりの地響きが周囲に木霊する。 ざわざわと木の葉を揺らす地響きに、ルイズとタバサは下唇を噛み締めた。 「ナルホド……撒キ餌ダッタ訳カ」 「どういう事よ!?」 焦ったようにホワイトスネイクの言葉を問うキュルケに、ルイズは自分達がハメられた事に対する怒りを露にしながら叫んだ。 「つまり、釣られたのよ、私達!!」 叫び声に反応するかのように、ホワイトスネイクはキュルケを抱きかかえ、 老朽化の為か脆くなった壁を突き破り外へと逃げる。 ルイズとタバサは杖を片手に、ホワイトスネイクが開けた穴から、外へと出るのであった。 「くそっ! こいつ、斬っても斬っても、すぐに直りやがって!!」 「すぐに貴族の嬢ちゃん達が来るから、無茶すんなよ、相棒!」 外に出ていた才人は、ちょうどゴーレムが生成される場所に出くわし、なんとか倒そうとしたのだが、幾ら斬っても土同士が結合しあい、どうにもこちらの勝ちが見えてこない。 「こーいうゴーレムが相手の場合は、術者を倒すのが一番なんだがな~」 「居ないもんはしょうがないだろ!!」 30メイルの巨体からは想像も出来ない程に素早く振るわれるゴーレムの拳を、人間とは思えぬ反射神経と運動能力で避ける才人であったが、疲れを感じぬ石人形と人間では、どちらにとってジリ貧の状況なのかは目に見えている。 この状況を打開する一番の方法は、ゴーレムを操っている術者の無力化なのだが、才人の視界内に術者と思わしき人物は存在しなかった。 「もっと良く探せ! こんなにパワーがあるのに、近く居ないはずなんてねぇ!」 デルフから檄が飛ぶが、探そうにも目の前のデカブツが放ってくる拳が、才人の余裕を精神的にも肉体的にも奪っていってしまい、それどころでは無い。 「良いか、やっこさんの速さはお前さんの速さには追いついてない!! 落ち着いて対処すらぁ、お前さんに攻撃なんて当たりっこねぇよ!!」 使い手を落ち着かせる為にデルフが声を掛けるが、戦闘行為など数える程しかしていないのに、それだけで落ち着くはずなど無い。 結果、ゴーレムの攻撃に対して無駄な動きが多くなっていく。 「ちっ!」 焦りを含んだ舌打ちに反応するかのように、ゴーレムは左手を繰り出してくる。 それを切り崩す為に逆袈裟に切り上げるが、デルフリンガーが触れる前に、土で構成されているゴーレムの腕がハリネズミのように形を造り変えた。 「相棒!!」 今まで拳と言う避けやすい攻撃しかしてこないと思い込んでいた才人は、突然切り替わったゴーレムの攻撃に反応しきれずに、その身を岩石の針で貫かれ――――――なかった。 「シャアアアアァァァァ!!」 まるで、蛇の鳴き声のようだと、才人は砕かれる岩を目の前にしながらそう思った。 「たくっ、遅すぎるぜ、嬢ちゃん達」 ほっとしたかのような安堵を含みながら、デルフは才人の心の内を代弁するのだった。 「ホワイトスネイク!!」 自らの使い魔の名を叫びルイズの声に、才人は、ハッと我を取り戻し、目の前の股座を潜り、ゴーレムの背後へと回り込む。 ホワイトスネイクと才人の二人に挟み込まれたゴーレムは、集るハエを追い払うように、上半身をグルグルと回し、 前方と後方へ同時に攻撃をするが、先程の攻撃で用心深くなった才人と、元より慢心など有り得ないホワイトスネイクの二人には、1ミリも掠りはしない。 「キュルケ! タバサ! 併せて!」 ルイズ配下の二人によって撹乱しているゴーレムへ攻撃呪文を集中させる三人娘だが、炎で焼かれようが、風で吹き飛ばそうが、水で濡れようが、お構いなしにゴーレムは攻撃を続ける。 「どんだけ頑丈なのよ、あいつ!?」 忌々しそうにキュルケが吐き捨てるが、それでゴーレムの歩みが止まる訳は無い。 すでに、ゴーレムの攻撃対象は、ホワイトスネイクと才人から、メイジである三人へと移行しており、ゴーレムの周囲の二人は足止めの為の行動に切り替えていたが、完全に動きを止める事は出来ていない。 「タバサ! 例のヤツを!!」 有効打を与えられない事に苛立ったようにルイズが叫ぶと、タバサは頷き、空を目上げた。 一見すると何も居ないと思われる蒼穹から、凄まじい速度で何かが地上へと一直線に落ちてくる。 「きゅーーーー!!!」 口に樽を咥えたシルフィード。 傍から見ると間抜けな姿だが、それをしているシルフィードも、させているタバサも大真面目だ。 「今!」 タバサの合図と共に、シルフィードは口から樽を離し、眼下で暴虐の限りを尽くすゴーレムへと投下する。 「ナイス! タバサと、え~と、その、タバサの使い魔!!」 歓声を上げるルイズは、奪ってからすでに一日経ち、随分と身体に馴染んだ『水』の魔法の才能をフルに稼動させ、 一気に樽の中身をゴーレムの身体に浸透させた。 「キュルケ! 最大火力で!!」 「締めを飾ってあげるわ!!」 限界まで込められた魔力により胎動する感覚に、キュルケは笑みを浮かべながらそれを解放する。 火は炎となり、炎は焔となり、ゴーレムに染み込んだ純度の高いアルコールと周囲の酸素、それに魔力を糧とし、煉獄をこの世に再現させる。 ゴーレムは、罪を嘆き、罰を受ける罪人のように、膝を折り地面へと倒れ落ちた。 「……終わったのか?」 キュルケの焔から影響の薄い地帯にまで引いていた才人が、プスプスと炎に包まれているゴーレムに向かってぼそりと呟く。 「サァナ……ダガ、トリアエズノ危機ハ去ッタラシイ」 周囲を警戒しつつ、ホワイトスネイクがそう告げると、才人は溜め息を吐きながら、デルフリンガーを握っている手の力を緩める。 「ま~だ、気を緩めるんじゃねぇ。 ゴーレムが倒れただけで術者は、まだ健在なんだぜ」 「んな事言われなくても分かってるよ」 渋々、デルフを握る手にまた力を入れつつ、周囲を見回すとルイズやタバサも油断なく辺りを見回している。 ただ一人、キュルケだけが嬉しそうに自分が燃やしたゴーレムを指差しはしゃいでいた。 「見た、ルイズ!? ねぇ、見た、私の活躍を!!」 自慢げに語るキュルケにルイズは少し迷惑そうだったが、キュルケが居てくれたお陰でゴーレムを燃やす手間が省けたのも確かだ。 「助かったわ、キュルケ。 でも、まだフーケが残ってるから、気を抜かないようにね」 「もう、心配性なのね。 ゴーレムは倒したんだから、残ったフーケなんて牙の無い犬以下じゃない」 ケラケラと笑うキュルケだが、その笑いは、耳を劈く爆音によって掻き消えた。 完全にルイズ達の前に敗れ去ったかのように思えたフーケのゴーレムだが、燃え盛る火炎に包まれながら、芯に当たる箇所は奇跡的にも無事だった。 否、それは奇蹟では無い。 予め、ルイズとタバサが話していた作戦の内容を聞いた“そいつ”はゴーレムの胴体に当たる箇所をアルコールが浸透しない金属で作っていたのだ。 傍目から見ても分からないように、きちんと土を上から被せ、カモフラージュも忘れずに。 案の定、ゴーレムが炎上し、地面へと倒れ伏すと、ルイズ達はゴーレムを倒した事から油断してしまった。 勿論、ルイズ達には油断していると言う認識は無い。無いが、やはり強大な敵を打ち倒した後には、気が緩んでしまうのは仕方ない。 このような荒事に慣れているはずのタバサですら、僅かにだが、戦闘時よりも警戒が鈍っていた。 そして、それこそが“そいつ”の目的だった。 警戒の緩んだ、ルイズ達が取り囲むゴーレム。 今にも燃え尽きようとする四肢の土達に、無事な胴体の金属から魔力と指令が下る。 今すぐに、弾けて四散しろと言う、無慈悲で残酷な自害命令。 意思など無く、命も無い土は、その身を砕き、一斉に周囲360°に飛び散るのだった。 咄嗟に反応できたのは、鈍っているとは言え、様々な経験により研磨された意識を辺りに散りばめていたタバサだった。 ゴーレムが破砕し、燃え盛る岩石が自分を直撃する前になんとか風の防護壁を展開するが、岩石の弾丸はそれを容易く貫通し、タバサの身体を打ち付ける。 致命傷の箇所の防護壁は分厚くしていたお陰か、なんとか即死は免れたが、それでも、右手、腹部、左足に焼け焦げた石が直撃し、ジュウウウと言う肉が焼ける音と、骨の砕ける音が同時にタバサの耳に届く。 ルイズの場合は、もっと深刻だった。 突然の事態に、反応が遅れたキュルケを庇う為に、彼女を抱くような形でキュルケの前に立ったが、その為に詠唱をする時間が無く、凄まじい勢いの石の弾丸をモロに喰らってしまった。 奇跡的に背骨は折れなかったが、その代わりに、右肩の肩甲骨を砕かれ、 完全に右腕の機能が停止してしまい、握っていた杖が手からぽとりと落ちていく。 さらに、石としての硬度を保ったままの小さい粒達が散弾銃のようにルイズの背中を激しく撃ちつける。 ルイズの負傷により、ホワイトスネイクも足元から地面へと倒れ落ち、立ち上がる事すら出来なくなっていた。 「ルイズ、皆!?」 ただ一人、反則的な反射神経と動体視力によって、大きな岩石を避け、小さな石にしか当たらず比較的軽傷な才人が叫ぶが、彼の仲間で、その声に返答する者は居なかった。 第九話 戻る 第十話 後編
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ルイズが目覚めたのは、まだ二つの月が重なったままの夜だった。 (……寝てたんだ、私) 瞼の裏にわだかまる眠気を振り払うように目を開けると、横のベッドに腰掛けたジョセフが童話の本を読んでいた。タイトルは「イーヴァルディの勇者」。子供なら誰でも知ってるような本を老人が一生懸命になって読んでいる姿に、思わず笑みを漏らした。 「ああ、起きたか」 微かに漏れた笑い声を聞いたジョセフが、ぱたんと本を閉じた。 「ごめん、つい寝ちゃったわ。まだ朝じゃないのね」 ルイズが起き抜けに考えたのは、ワルドとの結婚の話だった。もう断ることは決めているが、果たしてこんな夜中に押しかけていいものかどうか少し悩む。 「ああ、そう言えばさっきワルドが来てな。明日の朝に式を挙げるとか言っとったぞ。媒酌人をウェールズ皇太子に頼むとかも言っとったなー」 さも今思い出しました、と言わんばかりに何気なく呟いたジョセフの言葉に、ルイズの思考に根付いていた眠気がいっぺんに吹き飛んだ。 「なんですって!? そんなの聞いてないわよ!?」 寝耳に水、という言葉を体現するかのようにルイズは慌てふためく。 「わしもついさっき聞いたばかりじゃ」 しれっと大嘘を吐くジョセフ。 ルイズはほんの少しの間あわあわしていたが、すぐに平静を取り戻していく。 「そんな……いくらなんでも急すぎるわ。私まだ、結婚するとも何とも言ってないのに……」 困惑しながらも、ふるふると首を横に振って口元に手を当てた。 「ほらルイズ、水でも飲んで落ち着け。波紋を流してあるから疲れも吹き飛ぶぞ」 「あ、うん……ありがとう」 ジョセフの差し出したコップを受け取って水を飲むと、はぁと溜息をついた。 「困ったわ、王子様は明日戦いに行くのに……そんな時によその国から来た貴族の結婚式の媒酌人なんかさせられないわ。早いうちに断ってしまわないと、王子様にまで迷惑がかかっちゃう……」 ルイズはコップの半ばまで水を飲むと、ベッドから降りて立ち上がった。 「――ジョセフ、付いて来て。今すぐに結婚を断って……朝になったら、ウェールズ様にきちんと謝らなくちゃいけないわ」 凛と立つルイズの言葉に、ジョセフは満足げに頷いた。 「そうか、んじゃちょいと待っててくれんか。どーも年を取るとトイレが近くてのォーッ」 キシシ、と笑うジョセフに、ルイズは呆れ顔で言った。相変わらずこの使い魔はいつでも緊張感がないというか。 「ちゃんと手は洗ってきなさいよ」 「判っておりますじゃ」 ジョセフがトイレに行く背を見送り、ルイズは軽い苦笑いを浮かべた。 婚約者に結婚を断りに行くなんて大事の前だと言うのに、相変わらずの使い魔の様子が微笑ましく映る。 (……もし、ジョセフが私と同い年くらいならどうなってたのかしら) ふと考えてみる。今よりお調子者でアホでケンカっ早い図体のデカい男があちらこちらで騒動を巻き起こす光景しか思い浮かばず、そのうちルイズは考えるのをやめた。 (……68にもなってアレなら、18の時なんか手も付けられそうに無いわ) 至極真っ当な見解に辿り着くと、ちょうどジョセフが戻ってきた。左手をポケットに突っ込んだまま鷹揚に歩いてくる。 「いやー、すまんすまん。それじゃ行くとするか」 主人の気も知らずあっけらかんと笑う使い魔に、ルイズはジト目で問うた。 「……ちゃんと手は洗ったんでしょうねっ」 「洗いましたとも。ちゃーんと石鹸水で」 「……そう、それならいいわ」 多少の躊躇いの後、ルイズはジョセフの右手を掴むように握った。 「そそそそそそれじゃ、行くわよ!」 懸命に、自然に何気なく手を取ったように演出した不自然さにジョセフは言及することも無く、そっと手を握り返した。 「うっしゃ、んじゃ行こう」 ルイズとジョセフは孫と祖父の姿そのままの様相で部屋を出、ニューカッスル城最後の夜の方向に勤しむメイドを捕まえて、ワルドの部屋を聞き出してそこに向かう。 ドアの前に立つと、ルイズは二、三回ほど深呼吸をし、それからノックをしようとして、ジョセフと手を繋いだままだったのに気付き、慌てて手を離してから改めてノックをした。 「ワルド、私よ」 「ルイズかい? どうしたんだね、こんな夜更けに」 まだ起きていたワルドの返事から少しの間があり、ゆっくりとドアが開いた。 最初にルイズを見、続いてジョセフに視線を移してから再びルイズに視線を戻したが、あくまでワルドの表情は崩れない。 (――仮面の出来ばかりはいいモノじゃな) ジョセフは眉の一つも動かさず、心の中で悪態を付いた。 「ルイズ、立ち話もなんだし、中に――」 「ワルド、ごめんなさい。貴方との結婚は出来ないわ」 部屋に入れようとするワルドを遮っての言葉に、ワルドの仮面めいた表情が揺らぎ、赤が強まる。ジョセフは心底どうでもよさそうに告げた。 「あー、子爵様や。誠に、誠に気の毒じゃなァ」 イヤミ丸出しの言葉にも構わず、ワルドはルイズの手を掴んだ。 「……気の迷いだ。そうだろルイズ。君が、僕との結婚を拒むはずが無い」 「ごめんなさい、ワルド。憧れだったのよ。もしかしたら恋だったのかも知れない。でも、今は違うのよ」 するとワルドはルイズの手から肩へと手を移し、強く掴む。目の端が吊り上り、まるで爬虫類めいた表情へと変貌していく。そこに今までワルドが浮かべていた優しげな表情は、欠片たりとも感じられることは無い。 「世界だルイズ。僕は世界を手に入れる! その為に君が必要なんだ!」 この旅の中で初めてワルド本人の感情が言葉に乗せられた瞬間、であった。 豹変したワルドに怯えながらも、ルイズはそれでも首を横に振った。 「……私、世界なんていらないわ」 ワルドは両手を広げ、ルイズに詰め寄った。 「僕には君が必要なんだ! 君の能力が! 君の力が!」 そのワルドの剣幕に、ルイズは恐怖が沸き上るのを感じてしまう。あの優しいワルドがこんな顔をして、こんな言葉を吐き出すだなんて考えすらしなかった。ルイズは知らず、ジョセフに向かって一歩後ずさった。 「ルイズ、いつか言ったことを忘れたか! 君は始祖ブリミルに劣らぬ優秀なメイジに成長するんだ! 君は気付いていないだけだ! その才能に!」 「ワルド、貴方……」 唇から漏れた声は、恐怖に揺れていた。目の前に立っている人間は一体誰だ。かつての記憶にある子爵様はこんな人間じゃなかったはずだ。どうして、今の彼はこんな人間になってしまったのだろうか? 「ジョ……ジョセフ!」 ワルドの剣幕に怯えたルイズは、反射的にジョセフに振り向いて助けを求めた。 ジョセフはワルドにも負けないほど、仮面めいた無表情でルイズを自分の背後へと引き寄せ、ルイズは何の躊躇もせずにジョセフの後ろに隠れた。 シャツの裾をぎゅっと掴むルイズの手が小刻みに震えているのを感じ、ワルドを睨む両眼の光が鋭く強まった。 「坊主……オマエはフラレとるんじゃッ! これ以上ないくらいになッ!」 「黙っておれ!」 ジョセフの一喝に叫びで返したワルドは、ジョセフの後ろから恐々と顔を覗かせているルイズを見下ろした。 「ルイズ! 君の才能が僕には必要なんだ!」 「私は……そんな、そんな才能があるメイジなんかじゃないわ」 「だから何度も言っている! 自分で気付いていないだけなんだよルイズ!」 ルイズはここに来て、認めたくない事実を認めざるを得なくなったことを悟った。 彼は……ワルドは。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールを愛していない、という事実に。 「そんな結婚、死んでもイヤよ! 貴方、私をちっとも愛していないわ! 貴方が愛しているのは、貴方が私にあると言う在りもしない魔法の才能だけ! そんな理由で結婚しようだなんて……こんな侮辱はないわ!」 ワルドはその言葉に、ただ優しい笑みを浮かべた。だがその優しい笑みは虚偽だけで作られていることを、ルイズは既に理解していた。 「こうまで僕が言ってもダメかい。ああルイズ、僕のルイズ」 「ふざけないで! 誰が貴方と結婚なんかするものですか!」 ワルドは天を仰いだ。 「この旅で君の気持ちをつかむため、随分努力したんだが……」 「どれもこれも見事に失敗しとったがな」 ジョセフの茶化しにも眉の一つも動かさず、ワルドは肩を竦めた。 「こうなっては仕方ない。ならば目的の一つは諦めよう」 「目的?」 首を傾げるルイズに、ワルドは禍々しい笑みを見せつけた。 「そうだ。この旅に於ける僕の目的は三つあった。その二つが達成できただけでもよしとしなければなるまい」 「達成? 二つ? ……どういう、こと」 シャツの裾を知らず強く握り締めながら、ルイズは尋ねる。まさか、と言う思いと、考えたくもない邪悪な想像が心の中でせめぎ合う。 ワルドは右手を掲げ、人差し指を立ててみせる。 「まず一つは君だ。ルイズ、君を手に入れることだ。しかしこれは果たせないようだ」 「当たり前じゃないの!」 次にワルドは中指を立てた。 「二つ目の目的はルイズ、君のポケットに入っているアンリエッタの手紙だ」 王女を呼び捨てにする言葉で、ルイズは理解してしまった。 「ワルド、貴方……!」 「そして三つ目……」 「次にお前は『ウェールズの命だ』と言う」 筋書きの判り切った一人芝居を見ている観客のような面持ちで、ジョセフはものすごく面倒くさそうに言った。 「ウェールズの命だ……ふむ、その通りだ。ガンダールヴ」 ワルドの表情からは仮面めいたそれは完全に消えていた。仮面の下にあったのはおぞましい……冷酷で酷薄なもの。笑みに良く似た、全く異なる表情であった。 「貴族派……! 貴方、アルビオンの貴族派だったのね!」 ルイズは、戦慄きながら怒鳴った。 「そうとも。いかにも僕はアルビオンの貴族派、『レコン・キスタ』の一員さ」 「どうして! トリステインの貴族である貴方がどうして!?」 「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟さ。我々に国境は無い」 ワルドは杖を掲げ、恍惚の笑みを浮かべて宙を見上げた。 「ハルケギニアは我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのだ」 「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標をもってやるから、いつも過激なことしかやらんなぁ」 去年見たロボットアニメの映画の中で出てきたセリフが、思わず口をついて出た。地球の歴史もハルケギニアの歴史も、そこに住む人間もさして変わらない。ジョセフは思った。 「昔は、昔はそんな風じゃなかったわ。何が貴方をそんなにしたの、ワルド!」 「月日と、数奇な運命の巡り会わせだ。それが君の知る僕を変えたが、今此処で語る気にはなれぬ。話せば長くなるからな、共に世界を手に入れようと言ったではないか!」 ワルドは二つ名の閃光のように素早く呪文の詠唱を完成させ、ジョセフもろともルイズに杖の先を向けたが――余裕を見せて無駄口を叩いていたワルドより、先の展開を読んでいたジョセフの方がそれより一挙動早かった。 「我が友シーザー・ツェペリの技! シャボン・ウォールッ!」 ポケットの中に入れていたままの左手が掴んでいたのは、反発する波紋を流して固めていた石鹸水の塊ッ! それを波紋戦士が持つ驚異的な肺活量が生み出す突風の如き吐息を内包することで生まれる大量のシャボン玉ッ! 波紋シャボン玉がワルドとルイズ主従の間に壁のように充満した瞬間、ワルドの『ウインドブレイク』がジョセフ達に襲い掛かる……が! 「それがイイッ! そいつがイイんじゃよワルドよォッ!」 風のハンマーはジョセフ達に到達する前に、互いの間にあるシャボン玉の壁に命中せざるを得ないッ! しかもそれはただのシャボン玉ではなく、反発する波紋がたっぷり流されたシャボン玉! つまり風のハンマーが早ければ早いほど、波紋シャボン玉の速度が増すことになり―― 「きゃあっ!?」 シャボン玉に触れたジョセフが吹き飛ばされれば、ジョセフのシャツの裾を掴んでいたルイズも同じく吹き飛ばされることになる。吹き飛ばされながらも空中でルイズを小脇に抱えつつ、ワルドからの距離を大幅に広げる! そのまま着地すれば、ワルドにおもむろに背を向けるッ! 「ジョースター家伝統の戦法ッ! 『逃げる』んじゃよォーッ!」 ルイズを片脇に抱えたジョセフは、そのまま一目散に夜の廊下を逃げ切った! 「ちっ……逃げ足は大したものだな、ガンダールヴ」 忌々しげに歯を軋ませる音が響く。 今すぐ追いかけようにもシャボン玉の壁が廊下に充満し、追う事を許さない。 それにしてもあの使い魔……ガンダールヴの能力は、このような先住魔法めいた所業を可能にするのか、とワルドの心中を慄然と歓喜の混ざり合った感情が満たしていく。 こんな使い魔を持つルイズはやはり虚無の使い手ということだ。そのルイズを己の手で小鳥を縊る様に殺さねばならない、というのはいささか残念だが。 「だがそれならそれで好都合と言うものだ。目的の一つは果たさせてもらう!」 部屋に戻ると羽帽子とマントを取り、開け放った窓から天守へ向けてフライで飛翔する。 目的の場所は言うまでも無く、ウェールズの居室―― 見事ワルドから逃げおおせたルイズ主従は元の部屋に帰り着いていた。 小脇のルイズをベッドに下ろすと、ジョセフは毛布を一枚取って窓へと歩いていく。その背にルイズは、怒りめいた声で名を呼んだ。 「ジョセフ!」 「……なんですかな」 「いつから気付いてたの! どうして私に言わないの!」 今が急を要することはわかる。本当なら今すぐ問い詰めて何もかも白状させたいが、こんな下らない質問をして足止めしてはいけないのも頭では判っている。 だが、それでも、今の今まで使い魔が気付いていたことを主人に伏せられていたなんて――あまりにも、マヌケじゃないか。 「谷で襲われた辺り。お前に言えば向こうにバレる危険があったからじゃ。判ってくれ」 「……判るわよ! 子供じゃないんだから! でも、でも――!」 理屈は十分すぎるくらい判る。でも、騙されていた。何も言われなかったのが、腹立たしくて……悲しい、のだ。 幼い頃からの憧れだった婚約者が裏切り者だったのがどうしようもなく悲しい、辛い。 それなのに、信頼しているジョセフにまで! 人間不信に陥りかけたルイズに、ジョセフは背を向けたまま言った。 「あのクソッタレはアンリエッタ王女殿下、ウェールズ皇太子だけじゃあなく、わしの可愛いルイズを侮辱しおった! それをこのジョセフ・ジョースターが許せるはずァないわいッ!」 ルイズは気付く。毛布が今にも指の力だけで引きちぎられそうなほど、固く強く握られていることを。 ジョセフは、激怒している。 主人が騙されたことを。侮辱されたことを。 「ルイズ、わしは今からあいつをブッ飛ばす。だがお前を連れて行って守りながらは戦えん。だがこのジョセフ・ジョースターは、お前の……ルイズの使い魔! お前の代わりに、お前の分まであの裏切り者をブチのめすッ!」 振り返るジョセフの顔を見たルイズは、ほんの一瞬、ジョセフの顔を見つめ。 沸き上がる様々な感情や言葉を押さえ込んで、言った。 「私の分まで……ブチのめしてッ!」 懐にいつも備えている杖を、無意識に固く服の上から掴みながら、叫んだ。 「おおせのままに、ご主人様」 帽子を被り直し、デルフリンガーと毛布を手にジョセフは窓から出て行く。 開け放たれた窓を呆然と見つめたまま悔しげに唇を噛み締めると、ルイズは今すぐにでもジョセフの後を追いかけたくなる衝動と、懸命に戦い続けることとなる。 To Be Contined →
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階段を駆け上がれば、巨大な枝に辿り着く。 枝から伸びたロープに繋がれて停泊しているのは帆船に似た一艘の船だった。海で用いられる帆船のようでもあるが、舷側にグライダーのような羽が突き出ている。 果たしてこの羽は空中での揚力を得る為か、それとも魔法の恩恵を受ける為のものだろうか。後でルイズに聞いてみよう、とジョセフは考えた。 枝から甲板に伸びるタラップを降りると、酒を飲んで甲板で気持ちよく寝込んでいた船員が目を覚まし、身を起こす。 胡散臭げに一行を見やる船員にワルドが実に貴族らしい交渉――とどのつまりは居丈高な態度での要求の強要である――をしている間、ジョセフは荒く大きな呼吸を続けながら船の縁に凭れ掛かっていた。 「ねえジョセフ、本当に大丈夫?」 心配そうに近付いてくるルイズに、ジョセフは鈍痛に苛まれながらもそれでもニカリと笑ってルイズの頭を撫でた。 「なあに心配するなルイズ、こんなモンかすり傷じゃ。ツバつけて酒飲んで寝てたら治っちまうわい」 そうは言うものの、剥き出しになっている右腕は目を背けたくなるほどの大怪我を負っていた。 手首から肩まで巨大なミミズ腫れが幾つも走り、開いた胸元にも少なからぬ火傷が見えていた。 「でもすごいケガよダーリン。明日になったらタバサの精神力も回復するけど、秘薬の持ち合わせも無いから、治癒の魔法も気休め程度にしかならないわ……」 火のメイジであるキュルケは、水系統である治癒魔術は不得手な部類に入る。 メイジが五人も雁首を揃えているのに、ジョセフの治癒に掛かれるメイジはタバサくらいだった。 「あーあー、ダイジョブダイジョブ。なんなら波紋で何とかするしな。すまんが後で包帯巻いてくれんか」 心配を隠さずに自分達の側にいるルイズ達を安心させようと、いつも通りの笑顔を振り撒くジョセフ。 だが痛々しい傷跡を目の当たりにしている少年少女達の心配を雲散霧消させるほどの効果は、さしものジョセフと言えども得ることは出来なかったようだ。 やがてワルドと交渉していた船長が船員達に出航命令を下し、船員達はぶつくさと文句を垂れながらも俊敏な動作で出港準備を整えていく。 さしたる時間も置かずに船は枝に吊るされたもやい綱から解き放たれ、帆を張った。 戒めから解き放たれた船は一瞬空中に沈むが、風の魔法を溜め込んだ風石が発動すると帆と羽が風を受けて大きく張り詰め、船が動き出す。 船が動き出してきたところに、ワルドのグリフォンとヴェルダンデを口に咥えたシルフィードが船の後ろに追いすがってきて、船員達を驚かせた。 二頭の空飛ぶ使い魔は、驚く船員達の視線も気にせずに船の後部に降り立つと、身を丸めてその身を休める。 口に咥えられてやってきたヴェルダンデがシルフィードに何やら抗議している模様だが、きゅいきゅいもぐもぐと言い合っている様子は微笑ましさを感じさせた。 「それにしてもわざわざフネなんか使わなくても、ワルド子爵のグリフォンやミス・タバサのシルフィードもいると言うのに。アルビオンまでこの二頭に乗っていけばいいんじゃないのかい?」 心に浮かんだ疑問を隠しもせずに披露するギーシュに、ルイズが答える。 「ワルドのグリフォンがいくらタフだって言っても、アルビオンまでは遠すぎるわ」 「それに先程船長から聞いた話だが、ニューカッスルに陣を引いた王軍は包囲されて苦戦中とのことだ。周囲の空には貴族派の艦船が隙間なく陣を張っているとも聞く。となれば、貴族派に売りつける硫黄を満載したこの船に乗っていく方が遥かに安全という次第だ」 ワルドが続ける言葉に、ギーシュは反論することも出来ずむう、と黙り込んだ。 だがルイズはその言葉に大きな目を更に見開いて、ワルドに問うた。 「ウェールズ皇太子は?」 「わからん。生きてはいるようだが」 「どうせ港町は全て反乱軍に押さえられているんでしょう?」 その後もルイズとワルドの相談は続き、何とかニューカッスルを包囲する反乱軍の目を誤魔化して強行突破するしかあるまい、という結論に辿り着こうとしていた。 その間ジョセフは舷側に寄りかかり、船員から譲り受けた包帯をタバサに巻いてもらいつつも、行儀悪くワインをラッパ飲みしていた。 (にしてもなあ) ジョセフは思った。 (こういう類の乗り物に乗ると大概ロクでもないことがコトが起こるんじゃよなぁ) 飛行機に限らず、吸血馬の馬車に車にラクダに潜水艦と、奇妙な冒険の最中に乗り込んだ乗り物を悉く大破させてきた実績がジョセフにはある。 だがジョセフは空気を読んで、そんな不吉な言葉を発することはしなかった。 後ほどジョセフは一人、自分の奇妙な乗り物運をつくづく噛み締めることとなったのだが。 船員達の声と眩しい朝の光で、床板に寝そべっていたジョセフは目を覚ます。見上げれば澄んだ青空があり、見渡す限り一面に広がる雲の海の上を船は滑らかに進んでいた。 「アルビオンが見えたぞー!」 鐘楼の上に立った見張りの船員が大声を上げた。 ジョセフは大きな欠伸をしつつ、まずアルビオンを確認することではなく、左右で寝そべっている人の気配の正体を確かめた。 ケガのない左腕にはキュルケが両腕を回して密着していたせいで、褐色の形良い膨らみが左腕に押し付けられていて、ジョセフの口元がかなりだらしなく緩んだ。 対して包帯の巻かれた右手は、火傷に障らないような優しさで小さな手が重ねられていた。その小さな手の主は、ルイズだった。ジョセフの口元は、今度はふわりと綻んだ。 一晩の睡眠波紋呼吸で火傷もかなり快方に向かっている。この分なら今日中にでも完治させることも可能だろう。 とりあえずジョセフは、ルイズとキュルケの手を取り、ゆっくりと波紋を流し込んでいく。 やがて体温を上昇させた二人は眠気と疲労を消し去って覚醒した。 「んー……おはようダーリン、いい朝だわね」 起き抜けからいきなりジョセフに抱きつくキュルケを目の当たりにしたルイズが、いつものようにキュルケに食って掛かるのを微笑ましげに眺めていたジョセフは、ふと視線を上げた先に見えた物体に思わず口をぽかんと開いた。 「うわ……えっれぇモン見ちまったのォ~」 ジョセフの視線の先には、雲の切れ間から覗く巨大な大陸があった。視界が続く限り延びている大陸には幾つもの山が聳え、数本の川が流れているのさえ見ることが出来た。 「驚いた?」 ジョセフが思わず見せた無防備な表情に、キュルケへ向けていた怒りが消え去ったルイズがにまりと笑って問いかけた。 「あー、こんなすげェモン見たのは生まれて初めてじゃよ」 素直に感嘆するジョセフに、ルイズは自分の手柄でもないのに満足げに笑みを浮かべた。 「あれが私達の目的地、浮遊大陸アルビオン。ああやって空中を浮遊して、主に大洋の上を彷徨っているの。でも月に何度か、ハルケギニアの上にやってくるのよ。通称『白の国』とも言われているわ」 アルビオンに流れる川から溢れた水が空に落ちて白い霧が発生し、それが雲となってハルキゲニア全土に大雨を降らせるのだと、かの大陸が白の国と呼ばれる所以をルイズがジョセフに親切丁寧に説明していたところ、見張りの船員の大声が聞こえた。 「右舷上方の雲中より、船が接近してきます!」 その声にイヤァな予感がしつつも、ジョセフはそちらを向いた。確かに黒い船が一隻近付いてきていた。 ジョセフ達が乗り込んだ船より一回り大きく、舷側に開いた穴からは立派な大砲が突き出ていた。それが片舷側だけでも二十数門はあった。 「ほー、ありゃ戦う気満々の武装じゃのう」 予感が外れてくれととりあえず願ってみるジョセフと、眉を顰めるルイズ。 「反乱軍の戦艦かしら……」 それからしばし押し殺したような緊張感が船上を包む。近付いてきた船がどうやら海賊ならぬ空賊だと理解すると、船は一目散に逃げようとするが、進路の先に威嚇射撃の大砲の一発が飛んだ。 抵抗しようにもただの帆船でしかない船が戦えるはずもない。船長を助けを求めようと乗り込んでいたメイジ達に目配せしたが、金髪を除いた三名は抵抗する気配も見せなかった。 「僕の魔法はこの船を浮かべるために打ち止めだよ。僕は戦力にならない」 落ち着き払った声で緩く首を振るワルド。 「いくらメイジだからって、あれだけの大砲に狙いをつけられてたらどうすることも出来ないわよ」 肩を竦めてやれやれと呟くキュルケ。 「命が惜しいならあの船に従ったほうが得策」 本を読んだまま淡々と呟くタバサ。船長は船員に力なく命令した。 「裏帆を打て。停船だ」 ルイズは怯えてジョセフに寄り添いつつ、後ろに迫る黒船を見つめていた。 「こちらは空賊だ! 抵抗するな!」 「空賊ですって?」 ルイズが驚いた声で呟いた。 黒船の舷側からは弓やフリントロック銃を持った男達が油断なくこちらに狙いをつけつつ、他の男達が鉤の付いたロープを放ってジョセフ達の乗った船の舷縁に鉤を引っ掛ける。 手に手斧や曲刀を持った男達が船の間に張られたロープを伝ってやってくるのに、ギーシュは薔薇を振ってワルキューレを出そうとしたのを、ジョセフは波紋を流した帽子をフリスビーの要領で投げ付けて動きを留めた。 「きゅう」 「あのなあギーシュ、こういう時に抵抗したらケガが増えるじゃろうよ。下手したらわしらみんなあの大砲で吹き飛ぶかもしれんのじゃぞ。相手の戦力くらい見極めんか、元帥の四男坊よ」 そう言っている間にも、前甲板で騒いでいたグリフォンに青白い雲がかかり、すぐさまゆらりと甲板に倒れこんで寝息を立て始めた。 シルフィードは特に抵抗もせず、最初から甲板に伏せている。主人が(抵抗はしない)と伝えた結果である。 ヴェルダンデは主人が抵抗しろ暴れろと命令したのだが、自主的判断でシルフィードと同じく抵抗せずに伏せている。使い魔の方が戦況を冷静に判断しているようだった。 「眠りの雲だな」 「向こうには確実にメイジがいるわね」 ワルドとキュルケが二人揃って肩を竦めた。 そして空賊達が船に乗り移ってくると、随分と派手な格好をした空賊が前に歩み出る。 汗と油で真っ黒になったシャツと、胸元から覗く赤銅色に焼けた逞しい胸板。ぼさぼさの長い黒髪を赤い巻き布でまとめ、無精ひげを顔中に生やしている。 左目の眼帯にはドクロマークが描かれており、どこからどう見ても立派な海賊……否、空賊スタイルだった。 (どこの世界でも同じよーなカッコするもんなんじゃなあ) ジョセフはそんなところで感心していた。 「船長はどこでえ」 荒っぽい仕草と言葉遣いで辺りを見回す派手な男。間違いなく彼が頭だろう。 「……私だが」 震えながらも、それでも懸命に船長としての威厳を持って船長が手を上げた。頭はずかずかと足音を立てて船長に近付くと、抜いた曲刀で船長の頬を撫でた。 「これはご機嫌麗しゅう船長殿。おめーさんの船の名と積荷を教えてもらおうかい」 慇懃無礼におどけた口調で問う言葉に、船長は苦虫を噛み潰しながら言った。 「トリステインの『マリー・ガラント』号。積荷は硫黄だ」 その言葉が、空賊の間にどよめきを起こした。彼らは嬉しそうに周囲の仲間達と顔を見合わせた。頭も満足げに笑うと、船長の帽子を取り上げて自ら被った。 「よし、積荷ごと俺達が買おう。料金は大負けに負けててめえらの命だ、全く大損だな」 屈辱に震える船長をほっといて、続いて甲板に居並ぶメイジ達に気が付いた。 「おや、貴族の客まで乗せてるとはな」 ルイズに近付くと、彼女の小さな顎を指先で摘んで上向かせた。 「こいつぁ別嬪だ。お前、俺の船でメイドやらねえか」 男達は頭の冗談にげらげらと笑い声を上げた。ルイズは何の躊躇いもなく、男の手を払いのけ、怒りに燃えた目で頭を見上げる。 「下がりなさい、下郎!」 「おお怖い怖い! 下郎と来たもんだ!」 頭はおどけて肩を竦めたが、続いて足元でただ座っているジョセフに視線をやった。 傍目にはただ座って頭を見上げているだけだが、その目には恐怖など欠片も存在していなかった。静かな瞳だが、頭にだけは判らせる、紛う事の無い怒りをその両眼に湛えていた。 ジョセフは自分が痛い目に遭うことよりも、周囲の人間が侮辱される事に怒るタイプである。それが目に入れても痛くないルイズならばその怒りは数段レベルが違う。 頭は知らずごくりと生唾を飲んで、ルイズから手を離すと、その場を取り繕うように言った。 「てめえら、こいつらも運べ! 身代金がたんまりと貰えるだろうぜ!」 それから空賊達がやってくると、メイジ達の身体検査を始める。とは言え杖を取り上げた後、服の上から手でボディチェックをするだけである。 キュルケは扇情的な格好をしているのでやや念入りにされたが、他の少女二人は必要最低限で終わっていた。 抵抗できそうな手段をおおよそ取り上げられた後、ジョセフ達はマリー・ガラント号と空賊船の舷側に掛けられた木の板の桟橋を渡って、空賊船へと渡る。 だがジョセフ達が持っている金貨の詰まった財布や、ルイズの指に嵌められている水のルビーは取り上げられることなく、そのまま持っていることが許されていた。 To Be Contined →